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そういう意味じゃないのに

どんな人にも、自分はいつもこれで失敗している・・・と思うことの一つくらいはあるのではないだろうか。

もちろん、改めるべきところは改め、同じ失敗を繰り返さないようにすることが成長であるのだが、中には、わかってはいても、自分の意思では改められないようなものもあるように思う。


私は、自分の言うことを正しく理解してもらいたいという気持ちが強い。それは、少なくとも対面で話をする人については誰に対しても同じで、こちらの意図と異なる理解をされるくらいなら何も伝えなくていい、それによって損をしてもいいとまで思っている。

正しく理解してもらいたい、ということは、相手に同じ意見を求めることとは全く異なる。また、自分の意見を変えるつもりはないということとも全く異なっている。

「自分は現在のところこの考えを支持しているが、場合によってはそうじゃないケースもあるし、他にも様々な可能性があるということは理解している。今後得られる情報等によって考えが変わる可能性は十分ある」

ということを含めて、「私の見解」を理解してほしいと思うのである。


一方で、世の中には「ものすごく少ない情報からでも自信満々に断言できる人」がいるもので、そういう人の話を聞いたときには、その話の内容そのものに対してではなく「なぜそんなにはっきり断言できるのか。そうでない可能性は無いのだろうか」ということに疑問がわいてくる。

しかし、その根拠を尋ねると、私の言い方にも一因があるのかもしれないが、多くの場合、意見を批判されたと解釈されてしまう。違うのだ。私はその意見の出所や、そこに行きつく過程を知りたかっただけで、その意見そのものに対しては、賛成とも反対とも、正しいとも間違っているとも思っていない。そもそも、それを判断できる情報がないので、根拠を尋ねているのだ。

こうなると、会話の目的が、あなたの意見を批判しているわけではないと理解してもらうことにシフトしてしまうので、不毛な言い合いのようになってしまうこともある。


最近は幾分マシにはなったが、10代~20代前半の頃は、相手が少しでも「こちらの意見を理解していないな」と思ったら、それを理解したと自分が判断できるまで、延々とその話を続けてしまっていた。

そんな話し方をしていたら、親しい人が相手の場合は当然ケンカになるし、店員さん等が相手の場合は、ただのクレーマーになりかねない。自分の意見以外受け入れないと解釈されても仕方がないところはあるかなとは思う。

相手に多くを求めすぎているのではないか、とも思う。でも、もしかしたら誤解されているのでは・・・?と思ったままで関係を続けることは、どうにも居心地が悪く、落ち着かない。

できれば自分は相手にそういう思いをさせたくないし、相手を可能な限り誤解の無いように理解したいと思っているので、話の真意を理解できているか、相手の気持ちを取り違えていないか、慎重に考える。

慎重に考えるあまり、会話がかなり進んでから、ふと、前の話題に別の解釈があることに気づき、

「あっ!もしかしてさっきのこの話って、こんな意味だった!?ごめん!」

などと、唐突に言い出してしまい、妙な空気が流れるのであった。


本当に、貫き通しても何もいいことが無い。頭では分かっているのだけど、今目の前にいる相手に、自分のことを誤解されている、と思ったら、それを伝えずにはいられないのだ。






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