料理は嫌いだと思ってたけど
料理は苦手だし、できればやりたくない。今までずっとそう思ってきた。でも、最近それはただの思い込みで、やってみたら意外と好きになるんじゃないの?と思えてきている。
料理が苦手だと思うようになったきっかけは、中学家庭科の調理実習であった。
小学校高学年や中学校くらいになると、家で日常的にお菓子や料理を作っている子とそうでない子がはっきり分かれてきて、料理の腕前にはかなりの差がついてしまっている。そういう状況での調理実習である。
その年頃の子供たちが料理に親しんでいるかどうかは、親の影響、特に私の世代では母親の影響が大きかったと思う。私の母親は、料理は必要だから作っている、という感じで「親子で料理」などという手間のかかることはほとんどしなかった。
私の方でも、なんでも二言目には「めんどくさい」と言うような無気力な子供に成長してしまったので、母親に料理を教えてもらいたいという気持ちなどなく、当然の結果として、中学生になってもほとんど包丁など持ったことが無かった。
調理実習では、授業で予め内容を習ってはいるものの、話で聞くのと実際にできることは全く別物。当然、いざ実習が始まると、何もできないわけである。
そこで、同じ班の料理の得意な子が、テキパキと作業を進めていく。しかし、そういう子もグループの統率をとってくれるわけではないので、自分は何をしたらいいのかわからないまま、ひたすらその子が作業を進めていくのを見ているのだった。
私は子供の頃は勉強できるタイプだったし、スポーツもそこそこできていたので、幸いにも学校生活の中では劣等感を感じる機会はなかった。置かれた場所で何をしたらよいのかわからず立ち尽くすなんて、学校生活が始まって以来、いや、もしかしたら物心ついてから、初めてだったのである。
同じ班の他の子は、その手さばきに「スゲー!」なんて言って、その子はますますテキパキと作業を進めていく。私は何もできない自分を情けなく、恥ずかしいと思ったと同時に、なんだかだんだん腹が立ってきた。
なんだよ、料理なんて。そんなのできたって何の役にも立たない!
この出来事をきっかけに、「私には料理はできない」ということがコンプレックスになると同時に、「家事より仕事(または勉強)」という、コンプレックスを隠すためにすり替えられた価値観が形成され、つい最近まで私を支配してきたように思う。
仕事をしていても、料理(に限らず家事全般だけど)をしない言い訳はいくらでもできた。帰宅が遅いから。飲み会に出るから。休日は疲れて寝ていたいから。一人分の食事を用意するのは無駄が多いから。
結婚して、引っ越して、仕事を辞めた。言い訳の材料はすべて消えた。夫は結婚まで実家暮らしだったので、できる限り食事を作ってほしいと言った。私は、料理は得意ではない、と十分に前置きをした上で、限られたメニューながら、夫と自分の食事を作るようになった。
もちろん、空で作れるメニューなんてないから、レシピ本やネット上に公開されているレシピを首っ引きに見ながら、ゆっくりゆっくり作る。そうして少しずつ作業してみると、意外に楽しいなと思えるようになってきたのである。
そもそも、私の専門は生物学で、学生時代から手先を動かして実験をすることは大好きだった。これまで経験した仕事も、3年程を除いて、全て実験や化学検査の仕事であった。料理をするようになって、この仕事と料理はよく似ている、と思った。
料理が嫌い、という思いは、実際の料理という行動に対してではなく、それにまつわるかっこ悪い思い出に対してのものだった。私には他にも、昔の思い出とリンクして、物事の本質とは関係なく嫌いになってしまっていることがあるのではないか。そんなことを思って、昔の思い出をさかのぼっているのである。
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