肉

不機嫌なときには、おいしいものを食べにいこう

夫は頼りない。

夫は、かわいげや愛嬌があって、おおらかで、そして頼りない。例えるなら、昔話でキツネにだまされて、おいしいところを全部持って行かれてしまうクマである。そして、キツネに一杯食わされたことに気づいても、少し残念だけど、まあそういうこともあるさ、と、のほほんとしている。

私はそういうところに夫の魅力があると思っているのだが、日常生活においては、頼りなさだけがクローズアップされてしまうことが多い。

夫が最も苦手としていることは、周りの状況を察知して行動することである。人が多いホテルのロビーや、門を入った後、通路を通ってお店に入るようなつくりの、進行方向が分かりにくいお店、混雑しているパンやさん等で事件は起こる。

ホテルへのチェックインのことを考えながらフロントに向かっていると、チェックインのために待っている次の人に気づかず、悪気なく順番を追い抜かしてしまう(そしてフロントの人に注意されて私が平謝り)。お店に入ったものの、どのドアを開ければよいかわからず立ち尽くし、後ろから来た別のお客さんとぶつかってしまう(そして私がぶつかったお客さんに平謝り)。買いたいパンを選びながら歩いていると、後ろのお客さんが目の前のパンをとりたがっているのに気付かず、邪魔になり続けている(そして私が以下同)。

夫にしてみれば「そんなに気にしなくても大丈夫、みんなそんなことで怒ったりしないよ」とのことであるのだが、私は、立居振舞に何か不手際があれば、即座に叩かれまくるかもしれないし、そうならないまでも腹の底で罵倒された上に知恵袋に書かれてしまうのではないかと思っている方なので、いてもたってもいられない。こんなと時には、夫のおおらかさというか「雑さ」に対していらだちを感じてしまうのである。

スマートにエスコートしてくれる男が偉いわけではないが、せめて少しは周りの人の状況に気を配ってほしいと思っているので、1日に何度もそんなことがあると、それを口にだしてしまうことがある。今日はそんな日だった。小さな不満をため込んでしまう人の多くがそうであるように、私は一度言い出したら止まらない。

おおらかな夫といえども、私が過去のことまで持ち出してあまりにしつこく不満を述べているので、当然不機嫌になってくる。夫は口下手なのでめったに言い返さないが、最終的にはお互い無言で、車内(田舎なので出かけるときはたいてい車)は重苦しい空気でいっぱいである。

今日はその後ちょっと遠出して、最近できた評判のステーキ店でランチを食べることにしていたのだけど、あまりの空気の悪さに、一度は食事はやめにして帰ろうとした。しかし、移動している車の中で、夫はこう言った。

「今このまま家に帰ると、今日1日がこの雰囲気のままで終わってしまう。だから、このまま終わらないで済むように、やっぱりご飯は食べに行こう。」

私はしぶしぶそれに応じ、不機嫌な気持ちを立て直すことが出来ないままにステーキ店の門をくぐった。お店の入り口は例の進行方向が分かりにくいタイプで、夫は案の定開ける戸を間違えていた。

評判のステーキセットは、ものすごくおいしかった。油が甘く、やわらかくて本当においしかった。セットのスープは牛で出汁をとった乳白色のもので、体がじんわりと温まった。一緒に頼んだハンバーグも、シンプルなソースで肉の味がはっきりしていて、これまでのベストハンバーグといえるほどのおいしさであった。

気がつくと、機嫌の悪さはどこかへ消えていた。一体、何をそんなに不愉快になっていたのか。おいしいものを食べながらネガティブな話をするのは難しい、というのは何で聞いた話だったか忘れてしまったけれど、本当だったんだな・・・。食べ終わって家路につくころには、もう不機嫌な空気なんてどこ吹く風、いつもののほほんとした我が家の雰囲気に戻っていた。

不機嫌なまま家に帰ると、今日1日がこの雰囲気のまま終わってしまう。確かにそのまま帰ればそうなったことだろう。普段はあまりしゃべらない夫の提案は素晴らしかった。そして、今回のことで、私達の間には、機嫌が悪くなった時や険悪な雰囲気になった時には、お出かけをやめたりせず、むしろおいしい物を食べに行こう、というルールが新たに追加されたのであった。

先日、山崎ナオコーラ著「かわいい夫」を読んだのだが、我が夫と重なるイメージを起こさせる描写がたくさんあって、終始「これわかるわー!」と膝を打ちっぱなしであった。山崎氏の旦那様とわが夫を比べるのは失礼と言うものだが、世間的にいうところの「頼りがいがある夫」ではないところに時々不満を感じたりすることがあるものの、そうではないところにも伴侶として魅力を感じ、ともに日々を切に紡いでいく様に共感させられた。

かわいい夫との結婚、悪くないですよ。

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