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マイクロノベル97-108

97.
僕たちは夜と朝を隔てるその瞬間に潜り込んで、街に出た。全てが止まった世界には、それほど多くはない人々の姿があった。夜中の仕事を終えて帰る人々、これから早朝の仕事に向かう人々、朝まで遊んでいた人々。僕たちは自由だ。この時間がいつまでも続けばいいのにと僕たちは願った。

98.
僕が働く工房にも新しい蒸気機関が据え付けられた。今までの蒸気機関は吐き出されるお湯を水路に流さなくてはならなかったけど、この新しい機関は火を焚きさえすればいい。しかも格段に速く動くので、生産量も倍増した。一日の作業の終わりに、溜まった無秩序を袋に詰めて回収に出す。

99.
近所の寺の門に阿吽二体の仁王像が置かれている。どちらも恐い顔をしているが、小さなこどもが近づくと笑顔を見せる。近所の人が泣く子をあやしに連れてきたりする。今日は珍しく阿形がうとうとしている。近寄ってきた犬が吠えると慌てて目を覚ました。吽形が大きな口を開けて笑った。

100.
最古のミーム・ウイルスは「噂」と呼ばれている。それは人々の間で語られ広まり、絶滅しかけてはどこかで息を吹きかえし、多くの変種を生み出した。我々は世界中で変種を収集し、系統樹を描いた。恐らくその起源は16万年前のアフリカにあり、ミトコンドリアの母もそれを口にしたのだ。

101.
全ての可能な物語から成る空間を考えよう。殆ど全ての物語は物語空間のごく狭い範囲に集中している。それらは凡庸な物語だ。すぐれた物語作者は凡庸ではない珍しい物語を紡ぎ出す。そのためには物語に温度を導入し、それを下げなくてはならない。それを行う者は一般に悪魔と呼ばれる。

102.
地下鉄工事の現場で長大なトンネルが発見された。調査によれば、どうやら鎌倉時代に掘られたものらしい。地面に残された轍から、馬車道だったと考えられる。いわば昔の地下鉄なのだろう。確かに駅らしい跡がところどころに遺っている。なぜ地下でなくてはならなかったかは謎のままだ。

103.
広場の真ん中に塔が建っている。どこまでも高く伸び、先端は雲を突き抜けて見えなくなる。厳粛な祈りの場であり、一般の人が入ることは許されていない。稀に位の高い僧侶が訪れると人々が集まる。人々が祈りを捧げる中、僧侶は扉の鍵を開き、足を踏み入れる。戻って来たものはいない。

104.
あの日、君とこのカフェのこの席に座っていた。思い詰めた表情で口を開いたのは君だ。君の言葉は僕の耳に届いていたはずなのに、心はそれを拒否して、君がだんだん遠くなっていった。最後に君が言った「さようなら」だけが鮮かに残されている。僕はようやく勇気を出して今ここにいる。

105.
田んぼを見下ろす丘の道端に小さな地蔵が置かれている。目鼻もはっきりしなくなったそれは、土地の人々がだいじに守っているらしく、汚れてはいない。田植えも収穫も戦も天変地異も飢饉も全て見届けてきたのだろう。今はすり減って見えなくなった目はかつての記憶を見つめ続けている。

106.
小箱を君が開くと小さなペンダントが現れた。「あら、すてき」と君。僕も自分の箱を開けて見せる。「EPRペアの電子がひとつずつ入ってる。どんなに遠くで君が何をしても、僕のペンダントはそれに反応する。でも僕はそれを知ることができないんだ」「ロマンチックね」と君が微笑んだ。

107.
こどもが石を積んでいる。石を選んではひとつずつ慎重に積み重ねていく。途中で二度石が崩れたが、諦めずにやり直す。石は高く高く積み上がり、ついにはその子の手ではそれ以上積めなくなった。石を下から見ていって、そのまま空を見上げる。大きくなったら、あそこまで石を積むんだ。

108.
街角の公園で少年が踊っている。音楽はない。ただ彼の体の動きがリズムを生み出している。ひとりまたひとりと観衆が増えてくる。彼らもまた少年の動きに合わせて体を揺らす。それは大きなうねりとなり、やがて街全体に広がっていく。そこに音はなく、ただ純粋なリズムだけが存在する。

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