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マイクロノベル133-144

133.
電子の海で僕たちは出会って、ネットワークの片隅に密やかな愛の巣を作った。僕は君の本当の名前を知らないし、君も僕の本当の名前を知らない。年齢も知らないし、もしかすると性別だって知らないけれども、僕たちはそこで愛し合った。僕たちが消え去った今も、その思い出は電子の海に残っている。

134.
僕たちは暗い部屋の中でゆらめく蝋燭の炎を見つめていた。壁に映る君の影がゆらゆらと揺れる。君が手を炎にかざす。僕はその手にそっと触れる。僕たちはそのままただ黙って炎を見つめ続けた。君がふっと息を吹きかけると、炎は大きくゆらめいて消えた。暗闇の中で君の手が僕の頬に触れた。

135.
ふとした拍子に思い出す情景がある。まだ幼い僕は母の胸に抱かれて舟に揺られている。その舟でこの島にきたのだと後に聞かされた。そんな幼い日の記憶など本当はあるはずがなくて、それは母に聞いた話から構成された記憶にすぎないのだけれども、でも僕はそれをありありと思い出せる。

136.
時間亡命者に出会った。彼の輪郭は少しぼんやりしていた。時間亡命者は僕たちが暮らすこの時間から少しだけずれた時間に生きているのだ。
「自分で選んだんだ」と彼は言った。「みんなと同じ時間に生きることが苦しくなってね」
「今は?」僕は訪ねた。
「少し楽だよ。孤独だけどね」

137.
[僕/わたし]は男だったこともあるし女だったこともある。[君/あなた]も女だったこともあるし男だったこともある。[僕/わたし]たちは服を着替えるように性を変え続け、そしてずっと変わらずに愛し合ってきた。[僕/わたし]は明日また性を変えるけれども、[僕/わたし]たちの愛は変わらない。

138.
わずかに残された記録によれば、今は鬱蒼とした森になっているこの場所で遥か昔に大きな戦さが行われた。恐らくそれは双方に多くの死者を出し、その血を吸った地面から木々が育ってきたのだろう。今往時の面影を残すものはないが、幹に耳を当ててみれば、遠い戦さの声が聞こえてくる。

139.
15歳になると村を離れて旅に出る。これは大人になるための儀式でもあり、また村が外の世界のできごとや発明品を知るための制度でもある。出たきり戻らないものもいる。僕はどうするか悩んだ末、たくさんの土産ものを持って5年ぶりに帰ってきた。このあと、僕は二度と村を離れることはできないのだ。

140.
出土した破片を調査していて、奇妙なことに気づいた。別の破片を出してきて合わせるとぴったりだ。ところがそれは全く別の時代のものなのだ。同僚に見せると、また別の時代の破片を持ってきて、それも綺麗につながった。驚いて湯呑みを落としてしまったら、その破片もぴったり合った。

141.
歩道に立つ裸婦の像が、おやという表情で青空を見上げた。「あれ」と僕が指さす。「どうしたんだろう」
「何か飛んでるのかな」君も不思議そうに見る。
突然大粒の雨が降り出した。「天気雨」君が走り出す。避難した店の軒から覗くと、裸婦像は何ごともなかったかのように立っている。

142.
旅先で「驚異の館」を見つけて、面白半分に入ってみた。不思議なものたちの中にその時眼鏡はあった。覗くと十年ほど過去の僕自身が見えた。僕の前には彼女がいる。彼女が何かを口にし、僕はただ立ち尽くしている。「言わなきゃだめだ」と今の僕が心の中で叫んだ時には、彼女は立ち去っていた。

143.
終末の予兆は些細なことだ。虫の音が去年より小さいとか、雨の日が少し多いとか、漁獲量が少ないとか、鯨が移動したとか。僕たちはそんな終末の予兆を集めて、終末度を測定している。それは明らかに冪乗則に従って臨界点に向かって増えている。その先に何が待ち受けているか、数学では予測できない。

144.
広場の隅に置かれたその機械がいつから回り続けているのかは誰も知らない。長老たちも、自分がこどもの頃から回り続けているというばかりだ。こどもたちはそれに触れないよう固く言いつけられている。それはいつまでもただ回り続け、広場の秩序を整えるための整頓人たちは忙しく働き続けている。

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