見出し画像

マイクロノベル49-60

49.
水族館の深い水槽でペンギンを観察できる。その泳ぎはまるで空を飛んでいるようだ。いや、ペンギンは本当に飛んでいるのだ。今は重力に縛られていても、かつて空を舞っていた頃の記憶に突き動かされて水中を飛ぶ。陸に上がったペンギンたちは空を見上げて、少し寂しそうな表情をする。

50.
「私は時間旅行者なの」と彼女は言った。いったん始めてしまうとひとところに長く留まることはできなくなるけれども、さまざまな時代を渡り歩く終わりのない旅はそれはそれで気ままな生き方なのだという。「私と一緒に来ない?」と彼女が誘った。「もしあなたに失うものがないのなら」

51.
人生に疲れていたので、目的もなくエレベーターに乗って、最上階のボタンを押した。加速度を感じ、やがてその感覚が消えた。窓から外が見える。街が遠くなり、ビルが小さくなる。雲を抜け、夜の空を更に昇る。たくさんの星が見える。人工衛星が通り過ぎた。もう少し生きようと思った。

52.
多世界解釈派とコペンハーゲン解釈派の対立は激化し、EPRペアを用いた量子弾丸による決闘が行われることになった。闘技場に詰めかけた観衆が見守る中、両派の首領が銃の引き金を同時に引いた。その瞬間、コペンハーゲン派の意識では波束が収縮し、多世界派の意識では世界が分裂した。

53.
散歩の途中で世界の裂け目を見つけた。目を凝らさないと見えないくらいだけど、たしかに世界が少し綻びている。手を伸ばして裂け目に触れると、産毛がちりちりと逆立つのを感じた。慌てて手を引っ込めて、僕はその場を離れた。裂け目は翌日も同じ場所にあって、少し大きくなっていた。

54.
どうしても君に会いたくなって、電車に飛び乗った。電車がひどく遅い気がする。駅を降りて急ぎ足でアパートに向かう。立ち止まって息を整え、ゆっくり角を曲がると、ベランダで洗濯物を干す君が見えた。「やあ」と僕。「仕事で近所まで来たから寄ってみたんだ」君が顔を上げて微笑む。

55.
公園の小さな池の周りでこどもたちが遊んでいる。水に手を入れて思い思いに水を揺らす。小さな波は池のいたるところでぶつかり、岸ではね返りまたぶつかる。それが何度も繰り返され、やがて全ての波が中心に集まって勢いよく盛り上がり、水しぶきを上げた。こどもたちが歓声をあげた。

56.
それは中世に造られた古い教会で、今も信仰の場として使われている。中に入ると、石造りの内部はひんやりとしていた。何かを唱える声が聞こえてくる。中世らしい服を身につけた人々が集まっていた。声が石に反響して長い余韻を残す。ふと我に帰ると人々は消えて、静寂が支配していた。

57.
林を通る細い道の傍に小さな神社がある。近所の人が掃除にくるほかはめったに訪れる人もない。神社を守る二匹の狛犬は仲がよく、いつもじゃれあっている。たまに参拝者が来ると慌てて定位置につき、帰るとまた遊びだす。何百年もそうしてきたのだ。夜になると遠吠えをして眠りにつく。

58.
上りと下りのエスカレーターが交差するところで僕とすれ違った。驚いて振り返ると、僕も僕を振り返って驚いた顔をし、それから笑って手を振った。僕も手を振り返す。僕はエスカレーターを降りて雑踏に消えていった。僕も人波の中に入っていった。あれから僕は二度と僕と会っていない。

59.
女性が踊り始めた。リズムはかすかに聞こえる靴音だけ。単純な拍子ではない。人々がその周りに集まりだした。女性の額に汗が浮かぶ。別のひとりが踊り始めた。違うリズムが重なる。やがて人々がそれぞれのリズムで踊り始めた。足音が重なって大きくなり、複雑なポリリズムを生み出す。

60.
「わたしは自由だから」ブランコをこぎながら君が言った。「常識にもわけの分からないルールにも縛られない。あなたにもね」
「君を縛ったりしないよ」と僕は答える。
君が僕の目をじっと見据えた。「それならいい」君はブランコを降りて歩き出す。君の気まぐれに付き合う覚悟はある。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?