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マイクロノベル157-168

157.
山道をかれこれ二時間は登っただろうか。周りは深い森に囲まれ、まだ午前中だというのに薄暗い。時折がさがさっという音がするのは鳥か小動物か。ふと振り返ると、登ってきたはずの山道は姿を消して、森だけが続いていた。登り続けるしかない。この道は僕をどこに連れていくのだろう。

158.
人々が集まればそこに音楽が生まれ、踊りが生まれる。異国の地で出会ったそれは強烈な思い出として僕の心に残っている。今となっては、どんなメロディだったのかもどんなリズムだったのかも思い出せないけれども、音楽に身を任せていた時の高揚した気分は今でもありありと思い出せる。

159.
大腿骨に矢尻が刺さった恐竜の化石が出土した。年代から約一億年前のものと推定されている。その正体に結論が出ないまま博物館に展示されたので、見に行ってみた。間違いない。この矢尻を作った人間は時の割れ目を通って時間を遡ったのだ。彼は元の世界に戻れたのだろうか。

160.
君のもとを去って十年が過ぎた。いや、僕の主観時間ではたった一日のできごとなのだけど、混乱がおさまってみれば、僕が十年未来に飛ばされたのは明らかだった。アパートから出てくる君を見つけた。もし今もひとりなら、少し歳を取った君とまた愛し合いたい。君は信じてくれるだろうか。

161.
火星探査機から送られてきた映像に猫によく似た生物が映っていたことから、世界中が大騒ぎになった。科学者がその正体解明に必死で取り組んでいる間に、火星猫は人気ものとしてぬいぐるみになりTシャツになり、アニメになった。火星に猫がいるという事実だけで、世界に平和が訪れた。

162.
降らないだろうと油断して歩いていたら、もう少しのところで嵐に遭った。轟々と風が鳴り、雨が吹き付ける。手をかざして雨を少しでも避けながら歩く。ふと前を見ると、見上げるような大きな黒い影が雨の中をゆっくり動いていった。それが通り過ぎたあと、空は嘘のように晴れ上がった。

163.
鉄道博物館に小さな電車がひっそりと置かれている。それは鉄道が電化される遥か以前に作られた最古の電車で、一度も線路の上を走ることなく打ち捨てられていたものだ。誰がなぜ造ったのかは明らかになっていない。電車はいつかがたんごとんと音を立てて走るのを夢見て眠り続けている。

164.
星々が線で結ばれて星座を形づくっている。星の光は瞬くので蝋燭の灯りに違いないと天文学者たちの考えは一致している。星々を結ぶ線の正体は明らかになってない。火星や木星など瞬かない星の正体はずっと謎だったが、最近になって電気灯が発明され、あれらの星は電気灯かもしれないと言われ始めている。

165.
久しぶりの青空に飛行機雲が二本、くっきり見えている。雲の後端はゆっくりと形を変え、やがて二匹の龍になった。龍たちは互いに絡み合ったり離れたりしてしばらく遊んでいたが、それから猛烈な速度で地表近くまで降りてきて、一転、絡み合いながら空高く昇っていった。あとには夏空が残った。

166.
甲高い耳鳴りだとずっと思っていた。戯れに耳鳴りがするほうの耳に小さなマイクを入れて録音してみた。ソフトウェアを使ってずっと遅い速度で再生すると、それは誰かが話している言葉に違いなかった。異国の、いや僕たちとは違う時間が流れる世界の言葉だ。僕に何を伝えようとしているのだろう。

167.
その小さな音楽堂は戦前からそこにあるのだという。補修しつつずっと使われていて、時折小さな音楽会が開かれる。ステージに上がって壁に耳を当てると、かつて演奏された音楽が聞こえてくる。それはクラシックだったり、こどもの合唱だったり、そして戦地へ兵を送り出す声だったりする。

168.
引き出しの片隅に小さなガラス壜を置いている。何も入っていないように見えるけれども、君との思い出を封じ込めたものだ。時々取り出して振ってみると、からからと小さな音がする。思い出は年とともに小さく硬くなっていく。それでも、僕はまだそれを捨てられずにだいじに持っている。

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