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マイクロノベル85-96

85.
博物館の収蔵庫の片隅に謎の機械がひっそり置かれている。錆び付いて潰れた機械は白亜紀の地層から発見された。そんな時代に機械があるはずはないので、いたずらと考えられている。でも違う。僕は今まさにこれを作っている。出土したからには、僕は現代に戻ってこられないのだろう。

86.
「音楽ではない!音だ!」ノイズマスターが叫んだ。放射される音には音階もリズムもなく、ただ移ろいゆく音の塊があるだけだ。人々は音の洪水の中から思い思いにリズムの断片や意味ありげな音を拾い、あるいは音の壁に圧倒されながら、踊り続ける。「音を浴びよ!」ノイズの王が叫ぶ。

87.
僕が生きる世界と君が生きる世界。それはほんの短時間だけ交差して、また分かれて行った。君に出会ったのは奇跡だ。僕たちは惹かれあい、夢中で語り合い、愛を交わした。終わりがくることは分かっていた。君の世界の痕跡はもう僕の中にしかない。僕はそれをずっと抱いていくのだろう。

88.
鳥居をくぐると長い階段が待っていた。しばらく上っていくと階段の脇に小さな商店街が現れる。夕暮れ時、旅館を見つけて宿を取った。翌朝また上り始める。三日めに雲の中に入り、四日めに雲を出た。時折現れる商店街の様子は少し変化して、今は半分透明な人々がのんびりと働いている。

89.
昨日予言者に会った。カフェのテラスでコーヒーを飲んでいた時だ。「ちょっといいかな。僕は予言者なんだ」とその人は言った。「明日世界が終わる」予言者は立ち去った。その明日がやってきた。今のところ平穏な一日に思えるけれども、遠くに見える雲はいささか不穏と言えなくもない。

90.
即興演奏が続けられている。奏者が入れ替わりつつ、常に十人ばかりが楽器を手にしている。互いの音を聴いているのかいないのか、殆どの時間はただばらばらの音が鳴っているだけだけれども、恐らく原始の合奏とはこういうものだったのだろう。時折、奇跡のように高揚する瞬間が訪れる。

91.
君が住む町は地図の上には存在せず、入るにはいくつかの複雑な手順を踏まなくてはならない。僕はたまたまその手順を発見した。今僕は週末ごとに君に会うためにそこを訪れる。どこの国とも知れない町はいつも日の光に溢れ、君が笑顔で迎えてくれる。僕もいつかそこに移り住むつもりだ。

92.
広場に希望売りがやってきた。昔はリヤカーに希望を積んで売り歩いていたものだが、今は小さなバンでやってきて店を広げる。希望売りは客の願いを聞いては、お勧めの希望を袋に詰めて手渡す。人々は手に入れた希望を壊さないように大切に抱えて帰路につく。時に希望は脆いものだから。

93.
悲しいことがあったら、心の中で秘密の言葉を唱える。それは僕の心の一部を小さな箱に入れて、鍵をかける。こうやって、心は少しずつ箱に閉じ込められていく。これは生きるために身につけた技術だ。時折、ひとりの夜にもうひとつの言葉を唱える。心の箱の鍵が開き、感情が開放される。

94.
こどもたちが空想のボールを投げて遊んでいる。男の子から女の子へ、そして別の女の子へ。投げる様子を注意して見ていると、どの子がどの子を好きなのかが分かる。ひとりが取りそこねて、空想のボールが僕の足元に転がってきた。拾って投げ返す。「ありがとう」とこどもたちが言った。

95.
手の甲に猫のようなあざができているのに気づいたのは数日前だった。にゃーという鳴き声が聞こえたので、探してみたら手の甲にいたのだ。僕も「にゃー」と呼びかけてみたら返事をする。意味は分からないけれども意思疎通する気はあるらしい。猫だけにたいていの時間は寝ているようだ。

96.
なにかの拍子に空間に断層ができて、世界がずれてしまった。断層は家のすぐそばを走っている。ためしにまたいでみると体もそこでずれるのだが、それで何か支障があるわけではなく、断層を離れれば体は元に戻る。ただ、心にも断層ができた気分になって、それはすぐには消えてくれない。


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