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マイクロノベル109-120

109.
稲荷神社の紅い鳥居をくぐる。鳥居はどこまでも並び、果ては見えない。ひとつくぐるごとに空気は透き通り、張り詰めた涼しさを感じる。やがて周囲は大木の森へと変わる。ここはもう太古の世界。鳥居が途切れると、鬱蒼とした木々に囲まれた神殿があり、たくさんの狐たちが遊んでいる。

110.
素焼きの壺におさめられた古い文書が出土した。文字が発明されていなかった時代に石に刻まれたそれは議論を巻き起こした。その一部が展示されている。僕にはわかる。これは彼ひとりだけの文字だ。毎日の終わりに彼は自分のためだけにできごとを記録した。他の誰に伝えるためでもなく。

111.
こどもが砂の上に曲線を描いた。別のこどもが曲線を描き足す。別の子も寄ってきて曲線を足す。最初に描き始めたこどもは笑いながら曲線を描き続ける。ひとりが線を描いた途端、最初の子が大声で泣き出した。描いた子は慌ててその線を消して別の線を描く。泣いた子はもう笑っている。

112.
主恒星から遠く離れたその惑星は自転と公転の周期が殆ど一致しているため、昼も夜もおそろしく長い。昼の側と夜の側とに大きく体を伸ばしたその星の生命体は、恒星からの微かな熱を取り込み、夜の側に排出する。ひどく緩慢に代謝する彼らは昼夜境界線を追ってゆっくりと移動を続ける。

113.
うとうとしていたら雷鳴が轟いた。外に出ると、雲の中でときどき光が見え、それから雷鳴が聞こえる。光、一二三、雷鳴。一キロほど先だ。やがて大粒の雨が降り出した。見上げると雨粒が目に入る。大声を上げようとしたが声が出ない。もがいているうちに目が覚めた。雷鳴は続いている。

114.
君が住んでいた町を十年ぶりに訪ねた。この通りを君と歩いた。ここで安い指輪を買った。この喫茶店でいつまでも話した。この公園のベンチでハンバーガーを食べながら、こどもたちが遊ぶのを見ていた。僕たちには未来があった。風が運んでくる草の匂いが君を思い出させる。君の匂いだ。

115.
おばあさん細胞説というのがあってね、脳にはさまざまなものをそれぞれに認識する神経細胞があるというんだ。おばあさん細胞はおばあさんを認識する。もちろん、この説は間違ってる。ありとあらゆるもののために細胞を用意できない。でも僕の脳には君を認識する細胞があると思うんだ。

116.
林を通る細い道は昔の街道だと説明書きが教えてくれた。木漏れ日が差す道を歩いていくと分岐点に差し掛かり、そこには街道だったことを示す石の道標が置かれている。風が通り抜けた。今駆けていった飛脚が巻き起こした風だ。江戸に手紙を運んでいくのだ。吉報であることを僕は願った。

117.
記憶は情報なのだから、僕のからだを作っている全ての素粒子と量子的に相関する世界中に散らばった素粒子たちの間にホログラフィックに共有されていて、だから僕と君が愛し合った記憶も、いつか僕たちの肉体が滅びたあとでも、たとえばどこかの海の珊瑚にその一欠片が宿り続けるんだ。

118.
博物館に巨大な恐竜の骨格標本が展示されている。これはレプリカで、元の標本はカナダの博物館にあるらしい。もっとも、本物の化石だって恐竜の骨が鉱物に置き換わったものだからレプリカの一種と言えなくもない。恐竜の形に組み上げられたこのレプリカもきっと太古の夢を見続けている

119.
広場に回転木馬がやってきた。こどもたちがお金を握りしめて並んでいる。思い思いの馬に乗って、思い思いの行き先を夢見る。さあ、出発だ。木馬が勢いよく回り出した。振り落とされないよう、みんな必死にしがみついている。木馬を降りたこどもたちの顔はさっきより少し大人びている。

120.
「あなたの手を乗せて」カフェテラスで君が手をテーブルの上に広げた。僕は手を重ねる。
「今魔法をかけた。あなたの手はもう離れない」
「離れるよ」と手を動かす。
「野暮ね。こういう時は魔法にかかっておくものでしょ。だからもてないのよ」君が笑い、僕は慌てて手を重ねなおす。


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