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0314|裏木曽日記|愛されたかったんだ

書きかけて書き終わらないままの下書きがいくつか。いつの間に3月も半ばちかく。まだ工事は終わっていない、けどあと少し。

昨日、現場監督の進さんと話していて「男の子や中性っぽくしたり、男の子(的な事柄や冒険)に憧れたりは、お父さんに愛されて一緒に遊びたかったんじゃない?」って出てきた。ほんと、それあるかも。年の離れたお姉さん以外は男兄弟で育った父は、女の子と遊ぶのが苦手だったんじゃないか。仕事は忙しそうだったし、ほとんど一緒に遊んだ記憶がない。今だって姪っ子たちとのやりとりにそれが明らか。

わたしのヘアスタイルは基本、ショート。肩より長くしたのはつい最近、40代に入ってから。今はまた短い。母もずっと髪が短く「長いと結んだり面倒でしょ」と、わたしは小さい頃からオカッパかショート。よくある、女の子がお母さんに髪を結んでもらう経験はしたことがなかった。そこには女の子が色気づくことを防止する意図、あるいは母の嫉妬もあった様子にも今は感じている。髪型だけではなくて他にも嫉妬所以にやりこめられたことがあった。けどその母もまたその母から嫉妬を受けていたのかもしれない。

それから、わたし自身の処世術として「中性的」をあるとき自ら採用したのは自分でもなんとなく覚えている。つまり、女性陣に嫌われなくて、かつ男性にあまり目を向けられない術として。

いずれにしろ、わたしはただ、両親に愛されたくてそう振舞っていたんだ。お母さんに嫌われないように、お父さん以外の人に目につけられないように。


自分がこれまで身につけてきたやり方で行き詰っているのなら、それはひとつには「およろこびさま」の状態といえる。逆説的な言い方にきこえるが、すべて完璧に働いて、そうなっているのだから。陥っているパターンに気がついたのなら、あとはそこから外れれば良いということ。

母はとうに亡くなった。ほぼ関わらないできた父と最近ちゃんと話して、愛情表現は薄かったけれどわたしは愛され信頼されていたのだと気がついた。その両親さえと設定さえ、自分で選んで生まれてきたのだから、越えられないものではない。さらに、もう今さら同性に嫌われたって問題ないよね。

だんだんと自分が囚われていたものに気づいていくと、本当のところ、自分は全く自由なんだと感じる。制限をかけていたのはほかでもない自分自身。だったらその先はもう簡単じゃない?

(見出し画像は今朝の様子。近くにあってなんか気になる鎮守の森・お稲荷さんが今日はなんていう行事なんだろう。幟旗が立ち、暗くなっても明るく照らされていた)


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