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意識の方向

よくきく話で「意識を向けた方向に目がとまる、その情報が入ってくる」みたいにいう。

わたしが最近、意識を向けていることがあるとしたら沖縄旅、そして走ること。かもしれない。

沖縄に行くのは少し先だけど、すでにいろんなシンクロニシティが起きていて、すっごく楽しい旅になりそうな予感がしている。

そして、走ること。
吹奏楽部に入っている中学生の姪が体力をつけるために毎朝走っている、ときいた。それまで走る習慣がなかった仲間たちが走りはじめたり、走る宣言しているのを目の当たりにしている。マンサンダルに出会って、マンサンダルや裸足ランの投稿をよく見るようになっている。こんな風に続々と関連することが入ってきているのだ。

そして今日は、村の山手からクルマで下る途中、ランナーを追い越した。そのあと展望スペースにクルマを止めて山を眺めていると、そのランナーがやってきて、折り返す様子だったので
「どこからどこまで行くんですか?」と訊くと「上の展望台まで登って、下ってきて、もうゴールです」と、止まっていた軽トラを指差した。

「わたしは隣村からなんです。このルート気になってて、よかったですよー。起点と折り返し点に水とトイレあるし、景色もいいし」。
走るのは家からと考えていたけどクルマで少し行った場所を走る、というのも良さそうだなと具体的なルートのアイディアももらった。そこからしばらく立ち話。ランナーさんは週末に大会にでること。ランナーさんは車道脇を走ってきたけど、実はトレイルがある、と伝えたり(その整備に関わったことも)。わたしも昔、トレイルの大会に出たとか。

うーん、やっぱり、これは走るしかないでしょう。帰って早速、ごく近所への買い物に小走りで出てみた。

でも、こんな風に意味付けするのって人間だけ。ほんとはそれぞれバラバラなことを、つい「そのような流れがある」ようにとらえて特別なことにしちゃったりする。そんな物語がわたしたちは大好きだ。

とりあえず少しは走ってみよう、そんな方向に気持ちは向いていたりする。

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