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New-born#0 書かれたがっている物語

先日の記事に、とっても簡略化して私にとっての乳がんの体験を書いてみた。

術後2年経った今、まとめてみたら、なんと数行でおさまった。

驚きだ。

本当は、"まとまる前の物語"は開いて欲しそうにずっとそこにあった。

退院して半年ほど経った頃、気持ちが落ち着き始めて一度言葉にしかけたことがある。
その時には下記のような記載があった。

この「書かれたがっている物語」を、記憶によって編集し上書きされてしまう前に、まだ、生々しさの残っているうちに、言葉にして残してみようと思う。

2021.8.15  陽子

ただ、ずっと、それは日の目を見ることはなかった。

まだ準備が整っていなかったのだ。きっと。

そして今、数行にまとめられた時に、やっぱり、開いて欲しそうにそこにあった。
その主張にも何か意味があるんだろう。
素直にその存在を認め、引っ張り出してきて、ここに掲載してみたいと思う。


==2020年8月15日の記述==

40歳になった昨年末。
独立して楽しくやりたいことを仕事にしているし、家庭も幸せだし、自由に好きな場所で生きているし、恵まれているな〜、なんて思いながら、暮らしていた頃。突然、私にとって受け入れ難いお知らせを受け取った。

「右乳房に、5cmの乳ガンがあります。ステージ2です。」

その後、手術を受けてから約半年の現在。
とても幸運なことに、手術によってすっかり摘出でき、その後の転移もなく、再発防止の薬を飲むだけでいい、という治療方針。今は至って健康な暮らしができている。

この半年、それなりの精神的ショックと、身体への影響はあったものの、今思えば、その代償に勝る、いや、それどころかお釣りが来ても余るくらい得るものが大きい体験だった。

本当に私の人生にとって必要なことを”身体”が教えてくれた。
頑なな私には、これくらいのインパクトの体験が必要だったらしい。
それをお知らせするための「癌細胞」さんたちだった。

だからなのか、明確な理由はわからないが、この体験は書き記す必要があるような感覚がずっとあった。私個人の体験として独占してはならない、大切なメッセージだと感じたからなのかもしれない。

でも、これまでは公にすることは憚られた。
この病気に対するイメージを人それぞれ持っていて、それなりのインパクトが起きるから。相手の側のインパクトを引き受けられる耐性が私にはまだ整っていないと感じていたから。

私が体験を通じて受け取った、この「書かれたがっている物語」を、記憶によって編集し上書きされてしまう前に、まだ、生々しさの残っているうちに、言葉にして残してみようと思う。

・・・つづく

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