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小川洋子「言葉が存在しない場所で生まれるのが小説」。そこは言葉以前にあったはずの自分の居場所。

(講演「小説の生まれる場所」の続き)

「言葉」はウソをつくために進化した

 小川洋子さんは小説づくりの取り組みの中で、「言葉」というものの限界に深い思いを寄せていました。
 真理に近づこうと言葉で格闘するとき、ますます真理から遠ざかってしまう。
 なぜこんなにも、言葉というのは使い勝手が悪いのか。
 
 その時、言葉の発生について語る進化生物学の岡ノ谷一夫教授のこんな考察に、小川さんは目を開かれます。

 
 「言葉は、本心を隠して他人を操作するために生まれた」

 「言葉」はウソをつくための道具として進化したというのです。
   
 言葉は、海面に突き出た氷山のように、世界の一部しか表していないのをいいことに、発する者の巨大な欲望を海面下に都合よく隠すことができる。
 つまり、言葉を言った瞬間、言っていないことのほうが圧倒的に情報量が多い。
 「言葉」は本質的に大きな矛盾を抱えているのです。
 海面に出るものだけを扱おうとしても、うまく行かないわけです。
 
 かくして、人はいつも言葉の背後にある巨大な「闇」に悩む。

それでも言葉が人を人たらしめる

 では、言葉を持たない動物の認識世界はどうなっているのでしょうか?
 彼らは自分の身に今起こったことに対し、本能に従って、常にあるべき反応を示す。
 言葉を持たない動物にとっては過去も未来もない。ただ、「現在」があるだけ。
 本能に従って生きるとは、今だけを見て生きるということです。

 ここで、小川さんは、誰もが知るヘレン・ケラーの有名な逸話に、言葉の持つ秘密を見つけ出します。
 手に触れる冷たいものに「water」という名前があることを知った時。それは、それまで動物と変わらず本能だけで生きていたヘレンが人間になった瞬間。
 世界の万物すべて、一つひとつに名前という言葉がついている。
 すると自分にも名前がある。それは確かに世界の中で自分も存在しているということの発見です。
 自分が世界の一部であることの感動。世界を受け入れた感動。つまり、世界と繋がった感動。
 自分が世界であり、また、世界が自分である。
 そして万物は一つとして変化しないものはなく、やがて滅びることを知ってゆきます。

 これを境に、ヘレンはそれまで粗末に扱っていた人形を可哀想に思い、大切に扱うようになる。世界の中で自分と人形がともに存在していることを悟ったからです。

物語と芸術の起源

 人間はこうして、言葉によって今目の前にない世界、「過去」と「未来」への認識を持つことになりました。
 過去に生きた死者を現在の意識の中に蘇らせ、それは、自分もやがて死ぬのだという自分の行く末に思いを至らせることになる。
 変えることのできない「過去」。そして「未来」に間違いなく待ち受けている自分の死。
 
 なぜ生まれたのか。
 やがて死ぬのに。

 目的なく投げ出された自分の生。
 しかし、これは本能としてはまったく不必要な苦悩。
 この受け入れがたい事実に迫られ、それでも生きるしかない時、人間は「目的」を渇望する。
    目的が定められた「物語」の住人になろうとし、あるいは、存在自体が目的と化す「芸術」に自らを投影しようとしたのです。
 言葉によっていびつに認識させられた、手の下せない「過去」と「未来」への抗い。
 これが物語と芸術の起源なのではないか、と小川さんは語ります。 

言葉を持っていなかった自分に戻る

 小川さんは、ウソを言うために進化したという言葉のネガティブな側面、これを逆手に取って真実に近づけるのが小説という手法なのだ、という考えに至ります。 

 なぜ自分は小説を書くのか。
 人はなぜ小説を読むのか。
 
 ウソの機能ばかり肥大した海面上の氷山に苦悩し、願わくば、海面下の氷山そのものに触れたい。
 小説というものは、架空の世界を構築しながら、現実世界の、まだ言葉になっていないもの、海面下の氷山を語ろうとするもの。
 
 そこはもう、言葉を必要としない場所でさえあるのかもしれない。
 まだ言葉を持っていなかった、ウソや生死の苦悩にまみれていない自分に戻れるところ。

 言葉で書かれながら、言葉が届かない場所に行こうとする。
 それが小説の目的。
 
 言葉は、まったくもって不完全な道具だけれど、人間は言葉なしに人間になれないし、生きていくことさえできない。
 このことだけは動かしようのない真理に違いないようです。

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