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旅行記Ⅰ

 中学二年生のとき、家族でエジプト、トルコ、ギリシャを旅したことがある。
父親は僕らよりも先に出発していて、エジプトで合流した。

 僕が小・中学生のころ、「トリビアの泉」というフジテレビの人気番組があった。みんな見ていたように思う。「伊藤家の食卓」や「トリビアの泉」など、人気バラエティ番組がまだ存在感のある時代だった。
 「トリビアの泉」は視聴者から募集した豆知識をVTRで紹介し、出演者が採点していく番組だったが、ある日、「エジプトのスフィンクスの目線の先には、ケンタッキーフライドチキンがある」というトリビアが紹介された。(調べたら2003年放送の回だった)
 出演者は、砂漠の真ん中にあるイメージのスフィンクスが、思ったよりも街に近いことに驚いていた、ような記憶がある。

 エジプトに到着し、実際に確かめてみたら、本当に目線の先にケンタッキーがあった。なんの気もなしにそのケンタッキーに入り、日本と同じような値段のコーラを買い、涼しい店内から出ると、誰かが僕のTシャツの裾を引っ張った。


 後ろを見ると、4歳か5歳くらいの、砂埃で汚れた白いワンピースを着た女の子がいた。彼女は僕の持っていたコーラを指差し、それをねだった。ガイドブックには、こういうとき、ものを現地の子供にあげてはいけない、と書いてある。虫歯になってしまったら病院に行けないし、子供に物乞いをさせて働かない親なども問題となっているらしかった。

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 僕はガイドブックに書いてあった通り、「これはあげられないよ」みたいなことをその子に伝え、断ってしまった。
 しかし、今でもそれが正しい判断だったのかわからない。おそらく自分の頭で、「虫歯になるからあげてはいけない」などの答えにたどり着けたら良かったのだろうが、ガイドブックに書いてあることを鵜呑みにしてしまったことに対する後悔が、今でも胸中に少しだけ燻っている。

 「トリビアの泉」では、偉大な古代文明と、資本主義の典型たるフランチャイズチェーンとの間のコントラストが生み出すおかしみが笑いとして消費されていたが、現地でのスフィンクスとケンタッキーとの間には、単一の感情には還元され得ない複雑な事情がいくつも存在していた。
 日本人観光客である僕たち家族は、古代文明の遺跡であるスフィンクス、大ピラミッドを見て、一頻り感嘆した後に、道路を渡り、そこに境界など存在しないかのように、自動ドアを通り、ケンタッキーで冷たいコーラを買うことができる。
 しかし、多くの現地の人にとって自動ドアという敷居は簡単に跨ぐことができないものだ。先ほど、コーラの値段は日本と変わらないと述べたが、これはエジプトの平均月収などを考えたら法外に高額である。

 神話上のスフィンクスは、有名な謎かけに答えることのできなかった旅人を殺す。ギザの大ピラミッドの隣に座るこのスフィンクスはしかし、ただケンタッキーでコーラを買う僕ら旅人を見つめるのみである。古代の神話はもはや力を失い、道路のこちら側で僕らは、資本主義という新たな宗教に微睡んでいる。

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