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日記「まんが道、東京、佐野ラーメン」・2024.10.13

休日、朝遅く起きる。
僕は時間があれば9時間は寝たい。しばしば6〜7時間になってしまうが。先週は日記をつけ始めたのもあって、なんとなく忙しい1週間だった。主にアトリエ、職場、家の3箇所しか巡っていないがカプセルホテルでの睡眠不足もたたり疲れている。今日は休息に当てようと思う。
本棚から藤子・F・不二雄『未来の思い出』を引っ張り出してきて読む。人生をやり直すというドラえもんなどでもたまに描かれるテーマの作品だが、藤子・F・不二雄版の『まんが道』とも言える話だ。

『まんが道』は僕が最も好きな漫画だ。F、Aどちらかといえば僕はF派なのだが、両者の中で一番好きな漫画はどれかと聞かれれば『まんが道』であると言わざるをえない。そうなると僕の中では自動的に全漫画で一番となる。
とにかく『まんが道』にはエネルギーが満ちている。それは、マンガ的なエネルギーというよりむしろある人の人生、生活に充溢するエネルギーであるように思う。上野駅でカメラを盗まれるくだり、銭湯に行くために桶を持って下駄をカラカラ鳴らし夜道を歩くコマ、パンにコロッケを挟み、それを食べるくだり、どれをとっても物語の本筋には関係ないがまるで自分が体験したかのような現前性をもって立ち現れてくる。
原稿を落として絶望する悪夢を見て起床し、夢で良かったと安堵するくだりなど、しつこいくらいに繰り返されるがそれもまた、満賀道雄の生を表現するのには欠かすことのできない一幕なのだ。

学生のころ、友人に勧めたところ大いに気に入ってくれ、作中の違和感のあるくだりを2人して真似しあって飽くことなく笑っていた。森安なおや氏の「キャバキャバ!」という笑い方、何かを食べたときの「ンマーイ!」という感嘆、コロッケをパンに挟むときのテラさんの「こうする!」という自明すぎる説明、本当にどこをとってもおもしろい。
そして、自分自身が友人とともにトキワ荘のようなボロボロのアパートをアトリエとして借りていたことも相まってまんが道をある種なぞっているような感覚になっていたのだと思う。
彼は以前日記に書いた夢の話に出てきた友人であるが今彼は何をしているだろうか。

叔父さんと従兄弟が東京から栃木にやってきたので、久々に会い、歓談する。
叔父さんは映画や音楽が好きで色々なものを教えてもらった。僕は空気公団というバンドが好きだが、叔父さんもたまたま空気公団の大ファンだった。僕より遥かに年季が入っていて、ライブにも何度も足を運んでいた古参ファンである。
『融』というアルバムが僕のお気に入りだ。このアルバムを聴くと、観葉植物のあるベランダと、暖かい日差しと、遠くの方の空には雨を予感させる少し黒い雲があるような情景が浮かぶ。
このアルバムもたしか、ボロアトリエを借りていた20歳前後に知ったのだった。またちょうどそのとき飯田橋のギンレイホールという名画座で年間パスを買い映画を見まくっていた。
東京という都市は正直あまり好きではない。人は多すぎるし、街全体が消費を促し、そうしなければ楽しめないようなシステムに年々なっているような気がする。
しかし、名画座と東大前のボロアトリエ、空気公団は僕にとって東京の良い部分を記憶の中で象徴している。
ちなみに通っていた東京芸大は学生が少なすぎるのか、上野公園の中にあるせいなのか、大学前がまったく学生街という感じがしなかった。東大、早大、青学、駒場東大、東洋大などにはふらっと散歩しに行ったことがあるが、この辺で大学生やっていると楽しいだろうなあと羨ましく思った。幸い東大には近かったのでもっぱらそちらでご飯などを食べていたが、黄桃の缶詰(おいしすぎる)が学食に置いてあるのが芸大の学食との差をもっとも感じた部分だった。
いまはもう手違いで壊されてしまった宇佐美圭司の壁画をみながら友人と食事をとっていた。

栃木出身なので、半田舎みたいな場所が一番落ち着くが、一度は都市圏で生活するという経験も悪くない。

叔父さんと佐野ラーメンの話をしたら佐野ラーメンが食べたくなったので車を飛ばして佐野までいったが、連休の混雑を甘く見ていて、行こうと思っていた店が全て品切れだった。
大変な悲しみとともに、一風堂で豚骨ラーメンをたべて帰宅する。主に風呂に入るために契約しているジムの大浴場へ行き、今日は休息の日だと決めていたがやはりちょっと制作しようとアトリエへ。

日記を仕上げ、これから少し制作をしようと思う。

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