僕たちはストーリーを忘れてしまっても、印象的な"シーン"を覚えて生きていく

日々の生活の中で印象的なシーンを作ろうと思って生きてる人はあまりいないかもしれない。別にドラマの主人公じゃないからね。けれども、誰とも違う個人的な人生を歩んでいくためには、自分しか体験し得ない"シーン"を作っていかないといけない。日常のルーティンから抜け出していかないと個性を出していくことは難しいからだ。

だから自分と他人を分けるものというのは、結局今まで自分の目で見てきた"シーン"の違いなのだ。"春"と言ってみんなが思い浮かべる"春"が違うのは、自分が見てきた春のシーンが結局は違うからによる。

最近はわざと知らない駅で降りて散歩したりしてる。普段行かないような店でおしゃれな服を買ってみたりもする。喫茶店も新しいところにいくし、家じゃない違うところで本を読んでみたりする。それは"経験"とはまた違う。今まで自分が見なかった味わってこなかった"シーン"を見ていくことで自分を広げていきたいんだ。

脚本の本を読んでいた時に見つけた言葉がある。「結局、シナリオっていうのはシーンの羅列なのである。印象的なシーンをつくっていくのが大事なのだ」って。それをはっきりと覚えていて今でも大事にしている。ストーリーは極めて重要だが、それ以上に印象的なシーンを作り上げていかないと人の記憶には残っていかない。結局のところ「絵」が大事なのである。それは美しかったり新しかったりと、それまでのシーンとは何か違うものでなければならない。

振り返ってみると、僕が好きな映画もバラエティも小説も、パッと出てくるのは印象的なシーンであり、物語全体ではない。シーンを際立たせるには物語が必要であるが、物語はあくまでおまけである。映像表現では僕たちは1番にシーンを大事にしている。

例えば過去見たことある映画の詳細なシナリオがパッと思い浮かばなくても、その印象的なシーンについては思い出すことができる。去年友達と行った上野公園の花見で何を話したかは忘れたけど、桜の色は鮮明に覚えている。家族とレストランで食事した時のことも、四人で机を囲んでた光景だけをやっぱり覚えている。

こういう風に僕たちは"シーン"を覚えていて、"シーン"によって記憶をつくっていく。実は案外、そこにあった物語を覚えていなかったりするし、それでも構わないのだ。大事なのは自分だけのシーンを作っていくことで、そのシーンの羅列によって自分の人生を彩って形成していくことなのだ。


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