友と銭湯に浸かりながら考えた性善説

夏は銭湯にうってつけの季節だ。暑い体を水風呂で冷やすことができるし、家の風呂と違って心意気なく足を伸ばすことができる。といって冬も悪くないし。春も秋もいい。結局オールシーズンで銭湯はいいんだけど、今日は性善説に基づいて存在するある銭湯についての記事を書いてみる。

入浴料460円でタオル付きだと530円。サウナをつければ730円の銭湯。決して安くはないが、それを超えるだけの魅力と価値がある。

スーパー銭湯も悪くないけど、2000円くらいするし、漫画が備え付けであると一生懸命読んでしまうから結果的に疲れる。となるとやっぱし銭湯の方がいい。

台東区・荒川の周辺には数多くの銭湯がある。それでクオリティの差はめちゃくちゃあるけど、入浴料は一律460円と決まっている。これは決まりだ。少し時代遅れの感じはするが、そこはしかたない。この制度は銭湯を守るためのものらしいが、守れているのかは不明だ。

台東区でも年々銭湯は閉鎖を余儀なくされている。

銭湯と性善説なんて関係ないだろうと思うかもしれない。しかし、ある。そこには密接な関係性があるのだ。

寿湯の話をしたい。

寿湯

寿湯はキングオブ銭湯である。銀座線稲荷町駅から出て走れば30秒でつく。別に走る必要なんてない。徒歩なら1分ってところだろう。

途中の中華屋はサラリーマンとかが結構いて美味しそうだけど未だに入ったことはない。銭湯の前後はポカリスウェットで十分だからである。

ここは僕が銭湯にはまったきっかけでもある。おそらく、銭湯界の中でもむちゃくちゃに広い。水風呂が2つ、サウナが2つそれぞれ別々にある点でもその広さがうかがえる。更衣室だって足りないからロフトが併設されてるぐらいだ。ちなみにロフトに上がって天井や更衣室全体を見渡すとその重厚で歴史ある作りに圧倒される。これが日本の銭湯であると宣言して恥ずかしくない。

性善説の話はここから。

この銭湯の後ろには巨大なマンションが立っている。

外の風呂からはマンションを見ることができる。深淵を覗いている時、深淵もまたこちらを覗いている、ではないがおそらくマンションからも風呂の男湯の様子を見ることができるはずだ。しかし、それで僕は一回もマンションの住人と目があったことはない。きっとマンションの住人も下に銭湯があるということを忘れて日々の生活を送っている違いない。

ここで断りをいれておくと女湯の方はどうやらちゃんと隠れるような構造になっているらしい。都内の主要な銭湯のイラストが描かれているポスターを見た時に判明している。もちろんこれも確認したわけではないので定かではない。

銭湯の後ろで巨大なマンションの建造が始まった時、ここは一体どうなるのか、と不安になったのは僕だけだっただろうか。寿湯の魅力は夜空を眺めながら風呂に浸かることができる点だ。高層マンションの建設のために、外も天井を作ってしまえば台無しになってしまう。

しかし結局、寿湯は今のままだし、僕もマンションの住人と目があったことはない。よって、僕も何の気兼ねもなく湯に浸かれる。

性善説に基づかれて存在するのが寿湯、と僕が言うのはそのためだ。疑ってかかれば、マンションのすぐ下ですっぽんぽんにはなれない。そして毎日多くの客が訪れるが別にマンションを気にしてない。

僕の台の仲良しである高平くんもまた、この寿湯のファンである。彼は建築系の仕事なので、どちらかといえばマンションを作る人間である。

僕は彼と一緒に湯に浸かりながら、マンションを見る。その下で全裸になっている男が湯に浸かっているのは見ようによっては滑稽なのだ。

しかし「やはり、これは現代において性善説を主張するための一つの現代アートだ」と2人で語りながら、人間の可能性について深く納得をする次第である。

台東区の街並みも変わってきている。それでどうやって文化を守っていくんだとか難しい話はよくあることだ。変わるものもあるし、変わらないものもある。結局、寿湯は変わらずに存在し続けている。マンションの住民は下を覗かずに廊下を歩いているし、僕はそんなマンションの住人に一種のリスペクトを感じながら高いマンションを見上げる。

今では寿湯も外国人観光客で賑わうようになっている。寿湯の外の風呂に入りながら、マンションの巨大な壁を見上げると、それは無機質であるかもしれないが、性善説に基づかれた人間の確かな温もりを感じる。お湯の方が良いけど。

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