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人間がちっちゃい

 昨日、仕事帰りに新宿駅で声をかけられた。

 外国の方だったので道に迷っているのかと思い立ち止まると、「困っているのでお菓子を買ってください」という主旨のメッセージカードを見せられ、ああ、立ち止まっちゃったな、と思った。
 
 「アルバイトもままならない、国も頼れない、だから私自分で頑張ります、ありがとうございます。500円です。」とお菓子を見せられた。
 咄嗟に、「300円じゃだめ?」と言ってしまった。
 おいおい、お前いつも値切らないだろうよ、と自分で思ったんだけど、なぜか値切ってしまった。
 「400円ならいい。」と彼は言った。コストコで買ったお菓子らしい。
 結局、400円払ってそのお菓子を買った。買った後、変なところでケチケチしないで、1000円くらい払ったらよかったじゃないか、と思った。彼が本当は良い人か悪い人かなんてわからないけど、力のない目をしていた。
 ちっちぇえな、そういうとこだよ。自分は明日お菓子売らなくたってご飯食べられるくせに。
 自分が持っているものに目を向けていないから、そういうことになる。与える準備ができてないんだ。最近の私は、たぶん焦っている。

 高校生の頃にも、声を掛けられたことがあった。
 朝、神保町から水道橋の予備校に向かって歩いていた。人気がなかったから、土日だったんだと思う。曇っていて薄暗い道を一人で歩いていると、老人に呼び止められた。聞くと、どこかの駅に行くためのお金がないから500円ほしいと言う。
 当時は実際そんなにお金を持ち歩いてなくて、自分のお昼ご飯のお金のことが頭をかすめて、手持ちがないと言って断った。
 そのことを予備校に着いて友達に話したら「そんなの払わなくていいんだよ」と言われたけど、あの人はきっと、私が子供だから声を掛けることができたんだ。なんとなくそんなことを思った。
 人通りが少ない道で、あの人はそのあと誰かにお金をもらうことができたのだろうか。目的の駅に辿り着けたのか。
 
 あの人も昨夜の彼も、ものすごく高度に身分を隠している仙人か何かだったのかもしれない。損をしないようにして生きてるけど、功徳を積みそこなって損をしているのは、本当は自分なのではないか。
 わからないけど。

 夫とまだ付き合っていた時、喧嘩して2週間くらい会わなかったことがあった。喧嘩をする前に、二人でスーパーに行って各々好きなデザートを買っていたのだが、当時恋人だった夫はそれを食べることなく2週間近くたってしまっていた。会わない間に、私は自分用に買ったクレープを一人で食べてしまったけど、夫が買った懐中しるこ(お湯を注ぐとおしるこができる最中)は残しておいていた。
 なんだかんだで元通りになって、久しぶりに夫が私の家に来た夜。
「ほら、懐中しるこも君を待ってたよ。一緒に食べよう。」
 と言ったら、
「え、クレープ一人で食べたんでしょ?」
 と間髪入れずに夫が言った。一瞬ひるんだ私を見て、
「今自分で言ってて自分の小ささにびっくりした。」
 と、夫も自分の発言にびっくりしていた。

 自分の小ささを思い知ったとき、失敗したとき、自分が弱ってるとき、夫の偉大さに気づくんだよな。偉大さというのは、夫が偉大じゃないから生まれる救いのこと。夫が不完全でいてくれるありがたさ、ということ。
 
 そんな考え方って、間違ってるのかな。少なくとも強い人間の考え方じゃないんだろうけど、こんなやつでもこんなに好きだという夫への思いは、私に跳ね返ってくる。それは私が私を受け止める力になる。

 仙人も神様もさ、どこら中にいるのかもしれないよ?

 うちの夫も、普段の会社員の自分は世を忍ぶ仮の姿だと言っている。本当は誰にも言っちゃいけないけど、国際機関のスパイもやってるし、神様から頼まれて宇宙も動かしてるらしい。
「そんなの嫁に言っていいの?そんなことしゃべって嫁ごと消されない?」
と思うけど、なんかそれは大丈夫とのこと。

 ちっちぇえな、そういうとこだよ。
 

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