見出し画像

 【日記】2024-4-20 設計と体験

1.代官山T-SITEに関して

渋谷で副都心線を降り、中目黒まで散歩をした。

用事がないのに向かってしまうのが、蔦屋書店で有名な代官山T-SITEだ。三つの建物からなる書店に加え、裏側にはいくつかの店が入っている。店と店は舗装された小径でつながっており、それを囲むように緑が生えている。

少し暗いが、このような小径がある。

今日、この小径を歩いているとき、少し妙なことを感じた。それは、自分が歩いている風景に関して、うまくピントが合わないということだ。言い換えると、歩いている自分がどこに気を配っているのか、それがつかめない心地になった。

これに対する僕の推測は、次のような感じになる。つまり、体験が設計されている場合、自分で具体的な体験をするよりもむしろ、利用者が設計された概念を受け取ることになるということだ。

これではまだ分かりにくいから、対比で考えてみる。
たとえば、渋谷のセルリアンタワー辺りから代官山までの住宅街を歩いているとき、僕は入り組んだ道路を、自分の頭の中で地図にしようとがんばっていた。電車を降りた渋谷駅と、たまに見える中目黒アトラスタワーという二つの手がかりで、方角のアタリをつけていた。
いっぽう代官山T-SITEに関しては、なんとなくのイメージで敷地に入り、本屋の建物を回っていった。この際には、敷地に対する地図をいちいち思い起こすことはない。ただ意識にあるのは、よりぼんやりとした場所のイメージだ。たとえば真ん中の棟には、海外のグラフィックアーティストのポップアップがあり、奥の棟には人文科学系の本がある、など。

こう書いていても二つの違いがはっきりしないように思えて、もどかしい。
ともかく僕が言葉にしたいのは、次のことなのだ。つまり、代官山T-SITEや、ディズニーランドなど、「その中で過ごす人」について周到に設計がされている場所の利用者は、よりぼんやりとその場所のことを記憶するのではないかということだ。

2.openFrameworksに関して

今日は音楽に合わせて動く円を作成した。
Teenage Engineeringというスウェーデンの音響メーカーに「OP-1」という製品がある。その操作画面に出てくる描画の雰囲気がたまらなく素敵なので、それを念頭に置いて作成した。

教科書の音源を使用しているため、ここでは画像だけを添付する。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?