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まこちゃん

 去年の秋の日の夜の事。
 台所の水洗器具から水が四方八方大量に噴き出しているとの事で古い一軒家に臨場した。

 現場に到着すると台所近辺は勝手口に水が流れ出るほどの水浸し。「シューっ!!!」という音と共に台所の下から次から次に水が噴き出していた。
 しかし盛大に吹き出す水を尻目に、リビングではお婆ちゃんと奥様。奥様の妹さん2人が楽しそうにワインで酒盛りしていた。

奥様「遅くにごめんねぇ!突然噴き出して来ちゃって、もうどうしたらいいか分からなくて気にしない事にしたの。笑」
  「止まるかしらコレ。」

私「大丈夫ですよ ^ ^ 」

 元栓を閉めて原因を特定し作業に入っていた時、酒盛りを楽しんでいたお婆ちゃんが私にふと一言言った。

お婆ちゃん「まこちゃん?」

私「はい!!」

 確かに私の名前は真琴だし家族や友人にもまこちゃんとも呼ばれている。しかしどうしてまたお婆ちゃんは私の事をまこちゃんと呼んで下さるのだろうか…。 
 キョトン顔をしてしまった。

奥様「あ。ごめんなさいね。甥の名前がマコトって名前なのよ。あまりにも似てるから呼んじゃったみたい。」
 名刺を見て。
 「あなたもまこちゃんなのね。偶然!お母さん。良かったわねぇ!!」

 
 お孫さんであるまこちゃんは消防士をされているそうだ。
 多忙とウィルスの影響で最近全く会えていないが、目に入れても痛くない程に可愛い自慢の孫だと言う。
 会いたくても会えない。日夜危険と隣り合わせの仕事に従事する孫。そんな孫から過去に貰った年賀状や昔の写真を見ては会いたい想いを募らせていたそうだ。


 作業も無事終わり帰る準備をしていると、お婆ちゃんが私に向かって笑顔で手招きしていた。

お婆ちゃん「コレがまこちゃん。似てるわぁ。本当に。」

 写真に写るまこちゃんは端正な顔立ちをした男前で、私自身は決して似てるとは思わなかったが写真と私の顔を満面の笑みで交互に見るお婆ちゃんの顔を見ていて、もう一年以上会えていない自分の婆ちゃんの姿を思い出して涙が込み上げて来た。


 私の婆ちゃんは今年95歳になる。
 地元九州で暮らしているのだが、数年前頃からだろうか。帰省した際の別れ際、毎度毎度手を握り大粒の涙をぼろぼろ流すようになった。

 "もしかしたらもう二度と会えないかもしれない"

 きっとそんな事が毎度脳裏に浮かんでいるのだろう。
 それを見て毎度の事なのに私も涙が溢れる。帰省した際に一番心が締め付けられる瞬間だ。


 私の祖母よりも少し年上のお婆ちゃん。
 きっとまこちゃんに対しても私の祖母と同じ気持ちで毎回幸せな時間の後に訪れる別れの時を繰り返して来られたと思う。


 私の手を両手のひらで挟むようにして握り、ポンっポンっとリズムをつけながらお婆ちゃんは束の間の孫との時間を噛み締めているように見えた。微笑みながら目に涙を浮かべて。

 その時間は。私自身も自分がただ似ているだけの偽物という感覚を失っていた。


お婆ちゃん「まこちゃん。近くに来たら寄ってね。いつでもいいのよ。是非来てね。」

 別れ際。お婆ちゃんは何度も私の手を包みそう言ってくれた。


 
 人は温かい。
 心が触れ合った時。手を握った時。見つめ合った時。
 電話もテレビ電話でもオンラインでは味わう事の出来ないダイレクトな繋がりがそこにはある。

 そんな人と人が繋がる上での大切なモノが希薄になりつつある時代を生きている。

 お婆ちゃんは本物のまこちゃんを。
 私は実家に暮らすばあちゃんを。

 お互い"抱きしめる"事が出来る日が一刻も早く訪れる事を強く願って深夜の家路についた。



菊池真琴​

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