見出し画像

それでも、表現することを選べるか──2018年10月

「表現すること」「暮らすこと」「愛すること」をぐるぐると考え続けた10月。

ここしばらく「なぜ表現するのか」なんて考えられないままに仕事をしていたのだけれど。

10月に2回もおじゃました東京都奥多摩町。山の濃度が圧倒的に濃くて、「共生」なんてものじゃない距離感で存在する自然の中で呼吸していたら、にんげんが生きることに向き合っている自分がいて。

一緒に思考の旅に出てもらったり、真夜中に奥多摩湖を前にして星を見上げたり。しずかに張り詰めた時間を過ごしていたら、すっかり頭のどこかにいってしまっていた「なぜ表現するのか」の原点を、もう一度思い出した。



「朝起きたときに涙が止まらない日があるんだよね」としずかにこぼした横顔。それでも私にはいつもあたたかな眼差しを向けていてくれた。

寄り道をしてわざわざ私に買ってきてくれたちいさな花束。心の苦しみが身体にも出はじめていたタイミングで。

一緒にいるひとを楽しませるための、切なさをはらんだ笑顔。「天才」という言葉で片付けられてしまうたびに悔し涙を流していたのに。

ずーっとしゃべり続ける私に対して、やさしさに満ちた声で伝えてくれる肯定の言葉。私だったら何度生きることをあきらめてしまうか分からないほどの苦しみを抱えているはずなのに。



どうして。どうして。

どうしてこんなに、ひとは孤独になってしまうんだろうか。

こんなに孤独なのに、どうして私に愛を注いでくれるんだろうか。


それなのに、どうして私は、目の前のあなたに何もできないんだろう。横にいるはずなのに、すぐ手を伸ばせば届くはずなのに、こうして苦しみを打ち明けてもらっているはずなのに。

その心にある孤独を、ちょっとだけあっためることもできないんだろう。


そうやって何もできない自分にうんざりするほど苦しんだ先に選んだのが、「表現する」っていう手段だったんだ。そうだった、思い出した。

ずっと隣にいられるわけじゃないし、残念ながら私がいることで救いになるわけでは決してないし、私に何かしてほしいとも思っていないかもしれない。

でもさ、でもね、そんな孤独を感じてしまったら、どうしたってほんの少しでもいいからあなたの力になりたいと思ってしまうの。

だってさ、私にとってあなたは大切なひとだから。あなたが苦しんでいると私が苦しいから。エゴでしかないのもわかってる。だけど。


3月。

それぞれの扉をしめて新しい扉をあけたその先も、春のあたたかな陽射しに包まれた道のりが続いているはず、だから。
しめる扉のことを最後まで想っていたあなたが、新しい一歩をのびやかに踏み出せますように。

新しい扉を淡々とあけてもたまに朝の光のまぶしさに眼からこぼれ落ちるあなたの涙が、あなたの道ばたにきれいな花を咲かせますように。

ひとのことを思って春のお花を届けてくれたあなたが、あなた自身の道に咲いた一輪の花にもすこやかなほほえみを向けられますように。


かつてFacebookに書いた言葉より。

2016年3月ってもう2年半も前のことなのに、頭に思い浮かべているひとは同じだし、このときから今までにたくさんの言葉を綴ってきたはずなのに、その孤独に対して何も、本当になんにもできていない。

それでも、それでも。


自己満足とエゴの塊でしかない、私の胸にあるものは愛と言わないのかもしれない。

誰かの傷にそっと触れたいがあまりに表現したことが、誰かの傷を開いてしまうかもしれない。もっと傷つけてしまうかもしれない、孤独を深めてしまうかもしれない。

なにより、表現が孤独に立ち向かう唯一の手段なら、一見矛盾するようだけれど私は表現するたびに孤独と本気で向き合わなければならない。ものすごく覚悟がいるこの行程は、どうしても自分を消耗する。


それでも。

私の表現があなたに届くかも分からないし、届いたところであなたの孤独をほんの一瞬でもあたためてくれるほどの愛を注ぎ込めているのかなんて分からなくても。

私は表現し続けることを選べるのか。



10月はこの問いに対していっぱいいっぱい考えて、少なくとも今の私は、表現することを選んだ。決めました。

そう思わせてくれたのは私の言葉を受け止めてくれるひとの存在であり、10月末から11月頭にかけてインタビューさせてくださった方々であり、これまでの人生で愛をもって注いできてもらった言葉の数々であり。


ああ、表現したい。そう思わせてくれるひとと場所との出会いのおかげで、そして私自身を救ってきてくれた先人たちのとうとい表現のおかげで、今日もなんとかこの罪深い業と向き合えているんだった。


うっかり忘れかけていたけれど、あまりにも心に強く刻まれてしまった10月の時間のおかげでずっと覚えていられそう。

いっぱいいっぱい、ありがとう。がんばる。

10月のお仕事

FUJIFILM『写真と、ちょっといい暮らし。』10月1本目を執筆しました。

引っ越してから観葉植物がある家になって、確かに緑効果を実感している気がします。まあわが家は滋賀だから窓の外にも十分緑があるのだけれど、東京の場合は特に緑が必要だよね。

株式会社エルソウル様の「Google Cloud Next in Tokyo '18」登壇レポートを執筆しました。

東京開催のイベントの音源を聞いてレポートを書くのは初めてだったけれど、エルソウルの川崎さんが話していらっしゃることに対して素直に「これすごい!」と思ったので、その気持ちを言葉にしてみました。やっぱり心から「これいいよね」って思えるサービスの話はしたくなるよね。

FUJIFILM『写真と、ちょっといい暮らし。』10月2本目を執筆しました。ハロウィンパーティー。

9月分までは毎回立ち会っていた撮影に10月から引っ越しの関係で立ち会えなくなり、「楽しそうでいいなあ…」と思いながら書きました。

FUJIFILM『写真と、ちょっといい暮らし。』10月3本目を執筆しました。テーマは北欧インテリア。

豪雪地帯に引っ越してすでに寒いシーズンに突入しているのですが、わが家の同居人が明るい色を好むおかげで家のあちこちにポップな色が程よく散りばめられていて、確かに色の効果は大きいと実感しています。

10月のふりかえり

10月は表に出ている仕事が少ない!というか9月に引っ越して新しい土地に適応しつつ仕事を取りに行き始めた段階だったので、たいして仕事をしていなかったような気がする。そもそも10月は3分の1を岩手&東京で過ごしたらしい……すでに記憶がぼんやり。

でもそんな10月のおかげでようやく元師匠である小松崎さん経由でないルートからも仕事をいただけて、そろそろ公開できそうでうれしいかぎりです。ようやくフリーランスらしくなってきたのかな……。

少しずつ自分がすべき仕事、したい仕事が断片的に見えてきた部分もあるので、これからもはじめましての機会とつみかさねてきたご縁を大切にしながら、「表現すること」と体当たりでぶつかっていこうとおもいます。

***

今年のお仕事ダイジェスト版はこちらです。

というわけで、11月も、あ、今11月なんだ、どうぞよろしくお願いします!

言葉をつむぐための時間をよいものにするために、もしくはすきなひとたちを応援するために使わせていただこうと思います!