未来を「僕たちが変えていく」と信じられるか──『天気の子』から考える地域のこれから
首都圏から滋賀県の琵琶湖近くに引っ越した地域暮らし一年生のきくちより。東京都の最西端・奥多摩で生まれ育ち、地元に戻って保育園で仕事しながらまちおこし団体「Ogouchi Banban Company」で奥多摩での暮らしについて踊ったり歌ったり作曲したり発信したりしているかんせんせいへ、お手紙を送ります。
第一回は、『天気の子』や『君の名は。』をきっかけにあらためて考えるようになった、地域の未来を担うことについて。なお、『天気の子』のネタバレにはなっていないはずです。
かんせんせい、こんにちは。
この夏公開された新海誠監督の映画『天気の子』、ご覧になりましたか? 私は二度観て、原作の小説を読み、いま自分が暮らしている地域に関わるさまざまなことを考えてしまい、この手紙を書こうとしています。
2016年夏に公開されて、東京で観た『君の名は。』。
2019年夏にテレビで放送されて引っ越し先の滋賀で観た『君の名は。』、そして新しく公開された『天気の子』。
たった三年で、同じ作品を観た自分の視点と感想がこんなに変わるんだ、と驚きました。
そしてこの二つの作品から引き受けた切実な問い「地域の未来を自分でつくっていくと信じるためには、どうすればいいのだろう」を抱えてしまい、かんせんせいにも聞いてみたくなったんです。
2016年、3年前の夏。大学3年生だった私は東京で暮らしていました。
『君の名は。』の東京での舞台は、私にとってなじみ深いエリアばかり。だから知っている町が映画にたくさん登場して、わくわくしたんです。いま思えば、すっごく「東京の映画」なんですよね。
当時から「いつか地域で暮らしてみたい」気持ちもあったはずなのですが、地域で暮らすことを現実的には考えておらず、ただふんわりした憧れのみ。
だから映画の中で描かれる三葉の地元・糸守町の描写は、こういう地域があることに驚く以前の段階、「こういう場所もある、のかも?」くらいに思っていたのです。
電車が2時間に1本、コンビニは21時に閉店、でもスナックは2軒。カフェもパンケーキも憧れの存在。
「卒業したら町を出て、遠くに行こう」と高校生である三葉たちが語り合う糸守町は、中学の頃から東京に通っていた私にとってフィクションの存在でした。
それから3年。私が滋賀に引っ越して初めての地域暮らしをスタートさせてから、もうすぐ1年が経とうとしている2019年の夏。
『君の名は。』をもう一度観たら、3年前であればきっと通りすぎていたシーンで心がズキズキ痛んでしまったのです。
それが、映画の冒頭に登場した、糸守町の設定が描き出されるシーン。この町にはあれもない、これもない、「ない」が重ねられた結果、
「もうこんな田舎嫌や、こんな人生嫌や。来世は東京のイケメン男子にしてくださーい!」
と叫ぶ三葉の言葉に、あまりにも切なくなってしまいました。
このズキズキは、その次の作品『天気の子』でも感じざるを得なかったんです。主人公である帆高(ほだか)は伊豆諸島にある地元を「息苦しくて」離れたくなり、家出してまで東京に出ています。
そして帆高は言うのです。「帰りたくないんだ」と。
三葉のその叫びを聞いて、帆高がこぼした言葉を耳にして、この二本の映画の中で「地元=脱出したいもの」の図式が成立していることに勝手にショックを受けている私がいました。
どうして、そう叫んだのだろう。そこまで、故郷にいることが辛いのだろうか。
自分の地元で暮らすことを選んでいる滋賀の友人たちも、かつてそう叫んだ瞬間はあったのだろうか。地元に対して「何にもない」「帰りたくない」と思った瞬間が、あっただろうか。
しかも、この比較はまるで無意味なのですが、彼らの地元は決して「ない」町ではないと思うようになりました。フィクションでもなんでもなく、むしろありふれた地域の姿なのではないかと。
むしろ、糸守町は徒歩圏内にコンビニもスナックも、なにより高校があるのは地域として誇ってもいいくらい。電車が2時間に1本でも、歩いて駅まで行けるなら生きていけるかもしれない、とか。
そして『天気の子』の帆高が生まれ育った地元は、神津島(こうづしま)。私が行ったこともあるこの島は、東京からのアクセスの良さとエメラルドの海に惹かれて、観光に訪れるお客さんも多い美しい場所なんです。
そういう地元に対して、二本の映画の主役である子どもたちは、「この町には何もない」「こんな田舎嫌や」と言う。
なぜ地域で生まれ育っていない自分がこの描写に痛みを感じるのだろう、と疑問だったのですが、地域に引っ越して地域で生きるひとたちにたくさん出会ったことで、少しずつ自分が変化しているのかもしれません。
長期取材中の滋賀の隣町でお祭りに参加し、たくさんの子どもが集まっていきいきと過ごしている姿を目の当たりにして。
取材対象であるおにいさんだけでなく、彼らの家族とも接点を持たせてもらう中で、「この子たちが私と同い年になる20年後、この子たちの地元である町はどうなっているのだろう」と考えるようになりました。
かんせんせいと相方・酒井さんのお二人からは、主語の範囲について考えるきっかけをいただきました。
お二人がまちおこし団体・OBCとして活動し続ける理由のひとつに、お二人の「自分が」の主語には、お二人が暮らす奥多摩という地域の未来、その地域で生まれ育つ子どもたちが含まれるんじゃないか、と思うようになって。
気づけば、流れ者のようにいつかは地域を去るかもしれない身であっても、私もその地域に何かできたらいいなと思うようになりました。
その一つとして、地域のお祭りに行くことの意味を噛み締めている気がします。お祭りに行くことは、一緒に地域の未来を描くこと。このひとが描こうとしている未来に少しでも近づくのなら、と琵琶湖の反対側で開催された盆踊りにも足を運んできました。
後から思えば、東京にいた頃は「いま」の自分のことしか考えていなかった。それだけで必死になっていた自分がいます。
生まれ育ったり暮らしたりしている「地域」の単位で「未来」を考えたことなんて、一度たりともなかった。そこに生きる子どもたちとの接点もほとんどゼロ。
でも、かんせんせいたちや滋賀での出会いのおかげで、「自分」と「地域」という主語を重ね、「自分」が「地域」の未来を拓いていくことを考えたいと思うようになっていました。
いま目の前で楽しそうに遊んでいるあなたが、『天気の子』で帆高がこぼした「(地元に)帰りたくないから」を言わないで済む未来を切り拓くには、私は何をできるんだろう。
奥多摩も滋賀の隣町も、私がすごく取材したいと思うひとがいて、季節ごとにダイナミックに景色が変化して、思い出せる顔がたくさんあるこの町を好きになったから。
いずれ町を出ようとも出まいとも、この町での思い出が彼ら・彼女たちの支えになることを願って、少しでも私ができることをしたい。
自分が、地域の未来をつくる。
かんせんせいに初めてお会いした今年の2月には実感していなかったことを、ようやく少しだけ考えるようになったのかもしれません。
一方で、その思いはまだ小さいろうそくの灯りのように危うい存在です。
「これまでは何かを見て見ぬ振りをしていた自分」への後ろめたさ。私が住んだことのない奥多摩で、ずっと住むとは限らない滋賀で「地域の未来をつくる」なんて言ってもいいのだろうか。そう言えるほどの想いを持てているのだろうか。疑問や不安に思うこともあります。
そんな考えを持つことが自分勝手なような気もするし、「愛にできることはまだあるかい」の問いかけへの答えは自分で決めるしかないのに、ぐだぐだと悩んでしまう瞬間もあって。
だから、かんせんせいに聞いてみたくなりました。
かんせんせいがライブのために曲をつくり、ライブでお客さんたちの前で子どもと一緒に歌って踊って、その過程を見せていただいているからこそ、かんせんせいの一貫した信念の強さをますます感じるのです(もちろん、酒井さんにも)。
かんせんせいはどうして、自分の未来のその先に奥多摩の子どもたちの未来を描けるようになったのでしょうか。
その未来を、自分が一部でも担おう。きっと、担える。
『天気の子』の帆高は、大好きな女の子のために世界を「僕たちが変えていく」と言いました。
私には、かんせんせいと酒井さんも「僕たちが変えていく」精神を持っているように見えて、そう思う気持ちを何が支えているのでしょうか。
琵琶湖の反対側で盆踊りのお祭りを主催している方が、お祭りの後にこんなことを聞かせてくれました。
残るべくして残るものは、必ずその時代を生きる人のスピリット、燃えたぎるものがある。理由もなく「残す」という使命だけでは残らない。
すごく穏やかな方が送ってきてくれたこのメッセージとかんせんせいには、同じように秘めたる熱さを感じます。
自分を地域の未来を担う一人であると信じて、一人であっても行動し続ける強さ、スピリットは、どうやってかんせんせいを支えてくれるようになったのでしょうか。
さて、今日はかんせんせいがパフォーマーを務めるまちおこし団体「Ogouchi Banban Company」の一大イベント「まちおこしモンスターフェス」の当日ですね。
全力でパフォーマンスするかんせんせいや、かんせんせいの相方でありイベントの裏方をすべて担当されている酒井さん、お二人が企画した空間を全身に感じながら私が何を持ち帰るのか想像できないけれど、なんだかきっと、泣いてしまうような気がします。なにはともあれ、楽しみますね。
そしてまた、お手紙書きます。いい一日をお過ごしください。
アイキャッチ・本文中ライブ写真/photo by Ogouchi Banban Company
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