見出し画像

気持ちの感度。求めていたもの。

 コーチとしてクライアントと関わるようになって、人の状況や気持ちに心から共感し、一緒に感じる行為が、解禁されたような感覚がある。

 ずっと、誰かのために、の前に、自分が整っていなかったのだと思う。自分を認められなくて、そんな自分は人の辛さや喜び、いろんな思いに寄り添う価値がないと無意識に封印していたような。。。

 クライアントの成長や目標達成を、本気で一緒に喜んでいたら、それがどんなに自分に幸せを感じさせてくれることなのか、その価値に気づいた。おそらく、私自身が、自分以上に自分のストレスを感じてくれたコーチの共感力に、無意識に救われ、その価値に気づかせてくれたからだと思う。共に感じることが、どれだけ人を勇気づけ、自分自身をも豊かにするのか、ということを。

誰かのためは、自分のため。

 すると、気持ちへの感度が上がりはじめた。人の感情を自分でも驚くほど素直に受けとめ、そんな自分の感情も素直に受けとめている。過大でも過小でもない。そういう感情なんだね、と人から受けとめて、一緒に心から感じて、感じた自分も受けとめる。感じる自分と受けとめる自分が別々にいる・・・それが、整っている感覚なんだとわかった。整っているから、たとえ心が震えていても、感情に流されない。揺さぶられない。動じない。ただ、すべての感情を、とても大切に思う。

 そう、これだった。ずっとこうでいたかったんだ。人の感情もだけれど、風景や暮らし、空気の匂いや空の色、星や月や太陽の表情も、折々に言葉にならないような感情を自分の中にわき上がらせるのを感じてた。その感情のやり場に困って、やがて大人になると忙しさもあっていつしかそんな感情に出合うことも減り、ちょっと寂しい思いはありつつも、心を乱されずに過ごしてきた。それを久しぶりに思い出した。しかも、今は感情のやり場に困っていない。子どもの頃の自分と今の自分が、やっとカチッとはまり、整った。自分ができあがった感じがする。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?