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母の余命、というテーマ

今日、母の余命宣告を受けた。

父が早くに逝ったとき、「もういいわ、といえるくらい長生きしてね」と頼んだ通り、もういいわ、と言えるほど長生きしたと思うし、もういいわ、と言いたくなるくらい手もかかるようになっていた。

だから、いつ急なことがあっても仕方ないとは思っていたけれど。。。改めて余命を告げられることで、嫌でも終わりを意識させられてしまった。

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自分の敏感すぎる感情のやり場は、コーチングのおかげで誰かの役に立てることができるようになった。と同時に、自分の感情を少し引いたところからうまく受けとめられるようになったと思う。

手がかかるようになったとはいえ、やっぱりずっと私がリスペクトしてきた人であり、私の人生に大きく影響を与えてきた人。まだまだ長生きしそうだなぁ、ではなく、確実にもうそんなに長くないのだとわかってしまう事実は、私の感情を大きく揺さぶっている。にもかかわらず、悲しくて苦しくて胸を締め付けられるような感情が自分の中にわいていることを、もう一人の自分が穏やかに見つめ、受けとめている。無理にそうしているのではなく、自然にそうする術を身につけたのだとわかる。つらいけれど、つらい自分をきちんと大事に受けとめる。

感情に溺れるのではなく、感情を大事に受けとめることができると、まるで何かの知識が頭に定着するようにそのときの感情を憶えておくことができる。他に考えなくてはならない諸々の事柄も、同時並行で前に進めることもできる。

一方で、ときには感情に溺れなくてはならない、という信号も送られてきて、受けとめてくれる相手にしっかりと受けとめてもらうことが必要だとわかっている。パートナーであったり、信頼できる友人であったり、自分のコーチであったり。人の感情を受けとめるコーチとしての活動を通して、誰かに感情を吐露することの大切さを知った。自分の感情の取り扱いマニュアルを自然に手に入れたようだ。

これから数ヶ月?

母に向き合い、母の病気に向き合い、自分自身の感情に向き合い、そして日々の家事と子育てと仕事に向き合いながら、決して後悔のない大切な時間を過ごしていくために。。。何が必要なのか、何を大事にしていくのか、自分との対話を繰り返していこうと思う。

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