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約半世紀の熟成を経た吟醸大古酒を飲んでみた話

こんにちは、ボンです。

お盆期間は大正時代に建てられた木造の屋敷で過ごすのが恒例の我が家。風通しが良すぎてめちゃくちゃに涼しく、中庭の深緑に心癒され、セミの鳴き声と仏壇の線香に夏を感じる…。子供の時はなんとも思いませんでしたが、20代も半ばになり、そんなひと時が如何に尊い時間であるかを実感する今日この頃です。

最終日に片付けのため屋敷の蔵を物色しているととんでもない物を見つけました。それが今回飲んだこちらの酒。

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なんと昭和49BYに造られた吟醸原酒です!今年で46歳ですよ⁉こんな酒が身近にあるなんてマジでたまげました…。先代が購入し自家熟成させてたようです。自家熟成と言っても誰も手をつけずここまで年数が経ってしまったわけですが、ワイに見つかってしまったのが運の尽き。おいしくいただいてやろうとお持ち帰りです。

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この酒を包む袋にも時代を感じます…。「清酒特級」と記載されておりますが、実際の酒はおそらく無鑑査ではないかとのこと。級別制度についてはきくつかこらむにて解説してますのでチェックチェックぅー!!!

澱に興奮する男

さて中身はどうなっているのでしょう。期待を膨らませ包みを外してみると…。はい、茶瓶なので全く色がわかりませんね。そらそうや。平杯に注ぐまでのお楽しみと。

しかし僕の目はすぐさま瓶の奥底に移ります。うひょひょーっwww良い澱(おり)が出てやがるwww

澱というのはなぜこうも人を興奮させるのか…。言ったらロマンですよね。長期の熟成を経た酒にしか現れないオリーワン…じゃなく、オンリーワンな存在なのです。澱があったら喜ぼう。

そんな僕を見て横にいた父が「キッチンペーパーで濾した方が良いのではないか」と言い始めましたが、「古酒には澱があるものです」とイマイチ返答になっていない返答を繰り出しつついざ実飲です。

※ちなみに澱は酒の成分が結晶化したものなので、飲んで体調崩すとか超人的能力が身につくとかそういうことは一切ございません。ご安心ください。

いや、土蔵すごくね?

さあ、極上の古酒タイムです。とあるイベントでお客さんに「純米じゃないと熟成させても意味ないだろ?アル添を熟成させても意味ないだろ?」と言われたので「それは勘違いにもほどがありますね」と返したら喧嘩になったことがありますが、アル添でも旨い熟成酒は山ほどあります。

今回の古酒もアル添吟醸ですが、数値、時代背景を考えると自分のストライクゾーンにビタビタ剛速球が投げ込まれてくる可能性しか感じないので、期待が膨らみます。

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〈色〉まず茶瓶だったのでわからなかった色が平杯に注がれ判明します。…なんとまあキレイな黄金色でしょう。

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茶系の色合いを想像していたのでびっくりしましたが、貯蔵環境を考えると納得。電球すらない古い土蔵で上から紙で包まれ完全に遮光された状態。しかも温度も暑すぎず寒すぎずの温度で安定していたわけです。土蔵の機能性にただただ感嘆するばかり…。

〈香り〉一般的な古酒はナッツ様の香りがすると思いますが、今回の大古酒はそれをめちゃくちゃ進めた感じでした(伝われ)

〈口当たり〉含んだ瞬間にピリピリした刺激的な印象を感じますが、その後の食道に流れていくまでは至ってソフトなタッチ。このやさしさは46年間生きてきた余裕でしょうか。「兄貴い!一生付いていきやあす!!」と言いたくなる懐の広さを感じさせます。

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まずはそれぞれこんな印象。常温で最初は飲みましたが、甘みもくどくなく捌けの良さは感じました。度数が高いので水、ソーダでちょろちょろ割りながら飲んでもみましたが、ソーダの方は香りや味が変に浮くことなく「これもアリやな」という印象。

新酒の微炭酸は造れますが、古酒の味わいで爽快感のある酒というのはそう簡単に造れるものではないので、これは意地にならずどんどん取り入れていって良い楽しみ方だと思います。

当然燗もつけてみました。最初に感じた刺激感の正体がわからないものの、半世紀も熟成させてたらデキャンタ云々で変わるものでもないだろうな、ということで、チロリの側面伝いに優しく注いでいきます。

印象的に上げきって問題なさそうなので、60℃前後までしっかりつけるところからスタート。全然崩れない。良い…。

あとは冷ましながらチビチビいきましたが、個人的には下げずに55℃から上でしっかり温かい状態が好み。燗つけたものを割水してみたものの、やや味が浮く印象があったので原酒のままでよかったです。

知らぬ間に失われたのかもしれない物

日本酒業界、シンプルにマーケティングが下手くそだと思っています。「当事者のくせになにを他人事のように」と思われそうですが、どっからどう見ても上手くないですよね。

業界団体を中心に「皆で日本酒を盛り上げよう」みたいな施策がちょいちょいありますが、結局その界隈だけ団結して盛り上がって、あとの蔵は知りまへん、独自でやります、というパターンが各所で見受けられます。事情はわかってる上であえて言いますが、特定の蔵ばかりに声かけてフォーカスしてたらそりゃ団結力なんて生まれないですよ。

発信力のある人が考えるマーケティングも、業界内での求心力がないから浸透せずちぐはぐのままポシャってしまう。蔵個別で見てもマーケティング自体を大して考えていない場合が多く、意図・狙いが不明確なまま、酒造って、瓶詰めて、酒屋さんに出荷して、はい終わりというケースが昔は多かっただろうなと容易に想像できます。

僕はその過程で失われてしまった日本酒の良さが、かなりの数存在しているんじゃないかと思っています。

その代表例が「古臭い酒」。よく「華やかでフルーティーな酒が日本酒のイメージを変えた」的な(超ざっくり言いました)文言を見かけます。まあそれ自体事実ではあると思いますが、これの前置きは「それまでの日本酒は古臭くて不人気だったけど、」ですよね。

本当に古臭い酒で不人気だったのでしょうか。僕は20代前半にして熟成酒や燗酒のおいしさに目覚めたタイプなので、若者が古臭いと揶揄されるような酒質をハナから受け入れないとは到底思えないのです。今の業界を見ていると、どうしても売れない理由をそこに結び付けて合理化しただけのようにしか思えないのです。

華やかでフルーティーな酒により日本酒の可能性が広まった今だからこそ、古き良きものにも目を向けるべきではないかと。もちろんそこで好き嫌いはわかれるべきで、その方がこれだけの歴史、多くの造り手が存在する日本酒にとって健全なバリエーションと言えるのでは…?

今回飲んだ古酒はそういった往時に思いをはせる、タイムカプセルのようなすばらしいお酒でした。


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