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気功と道教|気功のおかげで自分の心に正直に動くことが増えた気がします。

中国正統派気功老師 盛鶴延先生の気功教室のお話し、参加者の体験談、『気功奥義』シリーズを編集しながら教えてもらったことなど、「気功で自分の健康を自分で守るために大切なこと」をつづっています。

***

コロナ前は
盛鶴延先生の気功教室が終わった後、
参加者で近くのお店に
食事をしに行っていました。

参加は自由。
誰でも参加できます。

教室の近くに
中華ファミリーレストランのバーミヤンがあって
そこに行くことが多かったのですが、

いろいろな種類を頼んで
みんなでシェアして
飲んで食べて・・・。
それは賑やかです。

気功教室が終わるのが21時過ぎですから、
かなり遅い時間からのスタートなのですが、

気功の後は
お腹が空くのよねぇ。

などと言いながら
バクバク、バクバク。

でも、
そんな食事会も
コロナ以降はなくなってしまいました。
残念・・・。

そんな気功教室後の食事会では、
みんな勝手にしゃべりまくり、
盛先生は、
そんなみんなの様子を
にこにこしながら
見ているという感じなのですが、

それでも時々、
ちらっと、
忘れられないお話をされることがあります。

***

ある時の食事会の時です。

その日は、
いつものバーミヤンが
いっぱいだったのか何かで
違うお店に行きました。

バーミヤンだったら
皆、勝手がわかっているので
さささっと机を移動して席を作り、
小皿やお水を
誰彼となく動き、持ってくるのですが、

その日は、
慣れないお店ということもあり
どう席の準備をしたらよいのか
わからない感じでした。

それでも
なんとか席について、

でもお店も忙しいのか
お水や小皿もなく、
どうしようか、みたいな雰囲気になったのです。

その時、
一緒にいた気功の参加者の一人の方が
ささささっと
ごく自然に
お皿やお水を取ってきて配られたのです。

自然に、流れるように。

その様子を見て、私は

あっ、
お皿配るのを手伝った方がよいかな。


と思ったのです。
一瞬。

本当に一瞬、そう思っただけで
まだ、手も足も何も動いていません。

ただ、瞬間、そう思っただけです。

でもその瞬間
盛鶴延先生が私の隣で
小さな声で

彼女は自然だね。

とおっしゃったのです。

そして続けて

でも、君は違うね。

と。



***

気功には自発動功(じはつどうこう)という
気功法があります。

自分の身体の内面から
出てくる欲求に従って
自由に身体を動かす気功法です。

自分のうちから出てくる動きなので
人それぞれ違います。

ふらふら身体を揺り動かす人、
ゴロゴロ寝転がる人、
密教のマントラを唱える人、
・・・

本当にそれぞれです。

貧乏ゆすりなども
自発動功の一種と言われています。

でもそうして
身体のうちから出てくる動きのままに
自由に身体を動かしていると、
気の流れがとても良くなるそうです。

自発動が自然にできるようになることを
「自発動が出る」
という言い方をするのですが、

「自発動が出る」ようになると
気功のレベルがあがるそうです。

ただ日本人は
日頃から自分の心の要求に
素直に従っていないというか、
耳を傾けていないところがあるので、

自発動功で
自分の心のまま動くままに動け、
と言われても

なかなか動けない、
自発動功が出ない人も多いみたいです。


で、先ほどの件に戻ると、

彼女は
自然に、無意識に
お皿を配っていたのです。

きっと配っているという意識すらなく
いわゆる自発動の状態で
配っていたのでしょう。
だから自然なのです。

だから

彼女は自然でよいね。

なのです。

でも私は
一瞬、考えたのです。

手伝うべきか、
お任せするべきか。

だから

あなたは違うね。

だったわけです。

道教の影響を強く受けている気功では、
正解、不正解はありません。
こうしなさい、ああしなさい、
もありません。

あの場合も
お皿を準備しようが、しまいが、
どちらでも良かったのだと思います。

あの時、
盛鶴延先生がおっしゃったのも
やりたいならやればいい。
やりたくないならやらなければいい。
それだけです。

どっちでもいい。


ただ、大切なことは
自分の心に正直であるか、です。

形だけ真似してもだめです。

お皿の準備にしても、
形だけ真似をしてもだめ。
それが自然かどうか。
心からの動きかどうか。
そこが大切なのです。

道教ではそこをとても大切にします。

そして、そのことを
瞬間の出来事を通じて
教えてくださったのだと思います。

***


それ以来、
私の中で何かが少し変わった気がします。

あの時の自分のように
瞬間、どうしようかなと
思ったものはやめることにしました。

瞬間、考えるということは
その時点で

違うね。

と思えるようになったからです。

その一方で、
あの時の彼女のように

気がついたらやっていた。

ということも増えた気もします。


面白いです。

そして何となく
気が日常の中でも
流れている気がします。


あの瞬間は、
凍りつきましたけど(笑)

ではまた!

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