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コロナ感染から得た会社運営

初夏の日差しが降り注ぎ、天気の日には真夏を彷彿とさせるような暑さを感じるような季節になってまいりました。ようやく緊急事態宣言もほぼ全国一律に解除され、その反動でどっと人混みが出来るかと思いきや、案外、街並みは落ち着いているように感じます。
コロナ禍で感じたこと、変わってしまったこと、皆さま色々あるかと思います。

私も3月下旬から緊急事態宣言が発令された4月7日、そして今日までの間、本当に多くの経験と学びを得ることが出来ました。

当法人が運営する施設では職員がコロナウィルスに感染してしまいました。

また、その後感染者が増え、一時大混乱をいたしました。
また、個人的にも世間と同様に不自由な生活を続ける中で、会社を取り巻く社会とのつながりや社員教育を見直す非常に意義深い日々になりました。
それらを踏まえ、今、新しい人間関係の在り方を模索し始めております。今回は、会社経営としての未来のふふふのデザイン、人に関するこれからの係わり方についてお話したいと思います。


コロナ禍の日々

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我々介護事業者にとって、このコロナ禍の恐怖とは、
①休業要請発動の恐怖
②休業後の再稼働の際の恐怖
③コロナ感染者発生時の恐怖
④コロナ感染による重症化の恐怖

この順番でした。

上記のように、コロナウィルス自体の怖さが4番目。これは介護職に従事する者にとっては概ね共通の認識ではないでしょうか。

1番は休業要請による恐怖。休業を要請された上に、補償は無し。パチンコ屋さんのように、休業要請を無視し開業し非難されるようなことがあれば、地域からの信用は失墜し営業できなくなる恐怖がまずは頭を支配しました。

かと言って、本当に目の前のお年寄りの毎日の健康管理、お食事、衛生面・清潔の確保などは必要不可欠な方も多く、その期間が長引けば命にも影響するため、サービスを停止させることはできません。ギリギリの選択を迫られることは避けられない。
それにサービスを停止したうえに補償がなければ、経営面や職員確保に大きく影響が及び、再開が難しくなることも容易に想像できます。つまり休業要請発動は即座に倒産の危機を意味するのです。

そこで2番目の再稼働の際の恐怖へと繋がっていきます。

名古屋市でも起きたように、〇〇区と〇〇区が休業停止という命令が出ると、地域の信用を守るために休業を選択せざるを得ません。そうすると介護サービスが必要な利用者の方は隣接区のサービスを利用するようになります。命にかかわることですから当たり前の選択です。緊急時に他施設にお世話になった利用者側の立場にたてば、緊急事態宣言解除後に元の施設に戻ることは人間関係や心情的に困難になります。

つまり、これまで築いてきたお客様との関係が一定割合で途切れてしまうことになります。

しかも、休業要請時には雇用調整助成金を活用し職員を引き留めたとて、それなりの会社負担分も発生し経営的には赤字に累積になります。再開後に賞与の支給も困難になります。
せっかく確保し、育成した職員の離職も余儀なくされる可能性が出てきます。線路を挟んだ向こう側の施設は運営しているわけですから。

そんなことを思い巡らせていると3番目の感染者発生の恐怖が襲ってきました。隣接施設の大量感染者の発生です。このコロナウィルスの感染に関しては当初、重症化もしくは感染後の合併症による死亡の恐怖を煽られていましたが、いつの間にか軽度な症状又は無症状のまま感染を広げてしまう恐怖にすり替わっていました。

隣接施設の感染も残念ながら若干名の死亡者も出てしまいましたが、多くの方は軽症もしくは無症状という、感染予防の観点では対策が一番難しい状態での感染拡大が起こってしまいました。

しかも、マスコミの報道はまるで感染者が加害者のように報道されてしまっており、その様子は恐怖でしかありませんでした。実は大量感染が発生した施設は当法人施設に隣接しており、テレビ報道の際に当施設への道路案内看板が映り、翌日は電話問い合わせが鳴りやまない程でした。もし、自法人施設がこの状態になればと考えると、マスコミ報道の影響への恐怖は計り知れないものを感じました。

その後に死亡者発生となり、その報道の過剰ぶりには拍車がかかることになりました。何度も言いますが、殺人の加害者のごとく。重症化の恐怖も基礎疾患をお持ちの方や高齢で虚弱な方にご迷惑をおかけしてしまう事の恐怖もさることながら、その犯人のように扱われてしまう恐怖はそれをも上回っていました。

そんな中、当法人もリモートでの会議等で各施設のご利用状況やスタッフの様子の確認などを定期的に行っておりましたが、職員は普段の業務に加え感染予防対策の消毒などを淡々とこなし、日常を維持継続してくれていました。

ご利用者様、来訪されるご家族も色々な想いをお持ちであったとは察しますが、それを前面に出されることもなく、普段同様に振舞ってくださいました。目一杯の気遣いであったと思います。本当に有難い気持ちでいっぱいでした。

しかし5月に入り、とうとう当法人職員から感染者が発生してしまいました。

コロナ感染時に見た人々の姿

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恐怖が現実になってしまいました。目の前が真っ暗になりました。
普段からこういう引きは強い方と自負はありましたが、ここまで強いとは...。

最初に頭の中に浮かんだのは『倒産』の二文字でした。もしかしたら終わったかも...。
次に聞いたのはその方の症状でした。比較的軽症ではないかという事でした。

しばらくして、やらなければならないことが次々に頭に浮かんできました。

先ずは、当法人各施設への周知。ご利用者、ご家族、県連事業所等関係各位への報告。
面会の中止や事業所間の行き来、会議や研修の中止などなど、社会との隔離についてです。

つまりは、他方面の方にお知らせすることによる、感染拡大の防止策に奔走することが第一になっていました。周りの方々に迷惑を掛けられませんし、周りの方々からの冷たい視線を浴びることを最小限に食い止めたい気持ちが先行したのだと思います。

しかし、テレビやマスコミの雰囲気と現実は全く正反対でした。

大阪府並びに大阪市役所の担当者、担当エリアの保健所、地元議員の方々、大阪府市の社会福祉協議会の皆様、大阪市老人福祉施設連盟の加盟法人各位、ご利用者ご家族、エリアの他事業所の方々、本当に皆様からご協力やご支援の連絡を頂きました。

困ったものはないか、マスクや消毒薬、防護服のご提供のご連絡、ご家族からは手作りマスクのご支援、関係官庁からも困ったことがあればとのご連絡などなど、書ききれないくらいの応援メッセージに、本当に心の底から感謝しかない状況でした。
この福祉の業界に携わる方々の懐の深さと、心の広さを本当に実感しました。

心無い揶揄や中傷を聞くことはありませんでした。むしろ、この間の皆様からの『大変やったね~』や『風邪やし防ぎようがないもんね』的なお言葉にどれほど支えて頂いたことか。これほど人の温かさに触れた気持ちになったのは、皮肉にもコロナ禍のお陰かもしれません。

そして、感染者の確認の為のPCR検査も完了し、感染予防対策の取り組みを続けながら感染予防の為の外部隔離期間を経て、最終感染者5月26日に無事に監督行政からの収束のお知らせを頂くことができました。

コロナ感染時に感じた職員教育の大切さ

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今から振り返り、職員教育について少し述べたいと思います。決して、教育の成果や方法論ではございません。ただ普段どのようなことを伝えるかといことを考えさせられたこの一連の出来事について振り返りたいと思います。

先日大手量販店の店員1名のコロナウィルス感染の報告を受けて、その感染の恐怖から、80名以上が欠勤するという事態が発生したというニュースが流れてきました。
それ以前にもテレビやネットニュースでも食品販売店の社員が危険にさらされていることに不満を露わにしている的なニュースは見かけていましたが、80名を超える社員が出社拒否しているのは異常事態ではないかと感じました。

このニュースの信憑性はさておき、これが事実であるならば、一人一人のニュースや情報との向き合い方、会社と社員との信頼関係、情報の共有、人間関係などが深く作用しているのではないかと思います。

ニュースへの向き合い方については、今(6月10日現在)もそうですが、街ではマスクの着用率はざっくり8割以上とみています。

昨日もニュース等にはありましたが、6月1日~6月7日に熱中症で搬送された方が1,200名を超えているそうです。ちなみにこの間のコロナウィルスの新規感染者はざっくり250名弱。ワイドショー的なテレビ番組ではまだまだコロナウィルスの感染はしっかりと予防することを連呼し続けていますが、現実世界では郵便配達員がマスクによる熱中症の危険性の度合いからも、配達員のマスク着用はしない方針を固めたそうです。

コロナ禍で学んだのは、周りにいらっしゃる人々とテレビでインタビューを受けている「コロナ警察」的な誹謗を語る方とのギャップが非常に大きかったことです。メディアの情報が全てリアルである筈もなく、真実でもありません。事実であっても真実ではないこともあります。

ニュースや情報は、受け手の理解と解釈、それをどう評価し、どのように利用し行動するかが非常に重要だと強く思います。情報は利用するもので自分がどう考えるかを交えることを心がけるようにという思いを、会議やミーティングの場でも事例を交えて話し合うようにしています。

その際に会社の考え方、方向性、基準や取り組みなども数値や文章にして配布するようにしました。
社内発行物やホームページなどでも閲覧できるように広報スタッフによる校正やビジュアルの整備などもいたしました。その時の気分やニュアンスで受け手側の解釈が変わらないようにすることと、伝言していった際に誤解が生じないようにするためです。

情報が伝わる過程において誤解や個人の意見、想像が介入してしまい、本当に伝えたいことのポイントがずれてしまう、歪曲されてしまう、違った意味で伝わるなどが生じないような工夫が大切ではないかと、かなり気をつかいました。

会社の想いや方向性が正しく伝わることで、社員も見当違いな不満を抱くことなく、かつ会社へ意見を伝えることができ、円滑なコミュニケーションが図られます。それにより離職という最悪の事態を避けることが出来るのではないかと思います。

きっと皆が自身の正義の中で生き、発言し、行動しているのでしょうけれど、そのコミュニケーションの過程で、誤解や誤認、また遠慮や我慢があり大切なポイントにズレが生じた際、トラブルが表面化してしまうのではないでしょうか。


今回のコロナウィルスという未曽有の感染症による奇襲攻撃により、次に活かせることがまだまだありましたが、先ずは『人』で非常に感動と学びを得ることが出来ました。

Text by 編集長 ミスターS.K



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