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ネガティブイメージは老人ホームが背負った十字架なのか?|老人ホームを使うのって悪いこと?その①

こんにちは。基弘会編集部のikekayoです。
この「くらしのふふふ」に携わるようになって、自分自身はもちろん、両親も友人もみんなが老いていくという当たり前のことを、よりリアルに考えるようになりました。
というか、怖くて目を背けたかったけども、背けてはいられないと気づいた、というほうが正しいかもしれません。
そして、もしかすると終の棲家になるかもしれない「老人ホーム」についても、ちょっと真剣に考えるようになった今日このごろです。

今回は、この「くらしのふふふ」の運営母体である基弘会の代表、ミスターSKこと川西本部長と、普段は広報室長を努めておられる当メディアの編集部デスク山本さんに、ド素人目線から「老人ホームってなんでしょうね」というお話をお伺いさせていただきました。

3回シリーズでお届けします。

老人ホームは「姥捨山」?!

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少し古いデータになりますが、日本の老人ホームの数はずっと増え続けているというデータがあります。

「平成28年10月1日現在の有料老人ホームは
・総数 12,570施設で、前年に比べ1,919施設、18.0%増加
・定員 482,792人で、前年に比べ57,964人、13.6%増加
とそれぞれ継続的に増加しています。平成20年のリーマンショックといわれる不景気の際、一時鈍化したものの平成24年より大きく増加に転じ 平成28年調査時では、過去最高の伸びとなっています。」
有料老人ホームご案内ネット「老人ホームの施設数・定員・在所者数の年次推移」

一口に「老人ホーム」といってもいろんな施設や運営方法がありますが、ここでは詳細な施設の説明は割愛させていただき、すべてをまとめて「老人ホーム」とさせていただくことにします。「有料老人ホームご案内ネット」によれば、どんなタイプの施設もほぼすべてが増加し続けていることがわかります。

また、ネットで「老人ホーム」と検索すれば、民間・公的いずれもたくさんの施設と、最適な施設を見つけるためのポータルサイトが上がってきます。
いろんな種類があって、自分(もしくは家族)に最適なものはどんな施設なのかがわからないというのは、多くの人が共通して抱える思いかもしれませんが、それに応えるかのようにいろんなサイトが乱立している印象もあり、まさに日本の高齢化とそれに伴う施設のニーズを表しています。

しかし、「老人ホーム」というものに対してどんなイメージがあるかと問われれば、介護・福祉業界に従事していない人の場合は大多数が決してポジティブとはいえない印象を持っているのではないでしょうか。

古来よりある民話の「姥捨山」はみなさんご存知でしょう。同様の伝説は世界各地にも存在するようですが、老人とは古来より疎まれやすい存在だったということなのかもしれません。
まさに現代の「姥捨山」と揶揄されるのが老人ホーム。なぜそんな印象になってしまっているのでしょうか?


山本デスク
「人はそれまで自分の家で自由に生きて、好きな時間に起きて好き時間に寝て、好きな時間に食べる生活をしている。
それができなくなった人たちが集まる場所と思われているから、それこそ『姥捨山』的なイメージに。」

たしかにそうです。

老人ホームはどんなところかを自分なりに解説するならば「自分だけでは生活できなくなった人が、家族に介護してもらえないから(しゃあなしで)行くところ」という、救いも何もない表現に…。

川西本部長
「ニュースで取り上げられるのも事故ばかりですからね。事件や事故が起きたときにしか老人ホームは報道されない」

それもそうですよね。職員による利用者への虐待や、社会問題にもなった凄惨な事件も記憶に新しいはずです。
ためしにヤフーニュースで「老人ホーム」で検索してみると、あがってくるのはもう今は老人ホームでの新型コロナウイルスクラスター発生のニュースばかり。これはこれで、別の意味で少々げんなりしてしまいますが、楽しいニュースが上がってこないことはよくわかります。

制度にも問題がある?

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また、ネガティブイメージの原因は、業界の制度と歴史にも起因すると山本デスクは言います。

山本デスク
「老人ホームには、大きく分けると国や自治体、社会福祉法人によって運営している公的施設と、民間企業による運営の民間施設があります。民間施設は資本主義的な運営なので、入居者からお金をもらうかわりにいろんなサービスも提供するというやり方で、そこではWin-Winな取引が成立するんです。
対して公的施設は、介護保険制度が始まる前は施設に入ってくる人がいればそれだけで国からの補助金が入ってくるので、入居者のためだとか、本人の希望なんて考えないという、全然頑張らない運営をしているところもあった。
そういう、サービスを頑張らないという公的施設の悪しき習慣で、かつて嫌な思いをされた利用者さんもいて、ネガティブなイメージがあるのかもしれないですね。」

公的施設と民間施設。これは必ずしも介護・福祉業界に限ったことではないと思いますが、こういった制度の面でのメリットとデメリットは起こり得るでしょう。
公的施設を利用する場合は「費用は安いのだからサービスが悪くても文句言えない」という利用者の状況があり、老人ホームに対する印象はより「姥捨山」感を増したとも言えます。

しかし、もちろん状況は介護保険が始まった2000年以降、好転してきています。公的施設であっても、きめ細やかなサービスを提供して利用者の満足度アップに尽力しているところはたくさんあります。
終の棲家として過ごし、そこで職員さんに看取られながら生涯を閉じる人も。
高級ホテルのようなサービスは提供できずとも、血の通ったサービスとプロによるケアで安心して過ごせる施設は確実に増えてきているのです。

老いることにポジティブさはあるか

とはいえ、「老い」についてポジティブに考えることができれば、老いることを避けられない私たちはもっと人生に希望が持てるようにも思うのですが、老いることのメリットってあるのでしょうか?

川西本部長
「ちょっとしたことじゃびくともしない、“動じなさ”ですかね。僕らならうろたえてしまうようなことでも、ご老人は『まあそんなこともあるよ』と、達観してらっしゃいますね。
だから、テーマパーク行っても昔はワー!って言ってたけど歳取っていくとクスリとも笑わないですから。」

えええ!それはちょっとさみしくないですか??(汗)
感受性が死んでいくような感じがしますけど…。

川西本部長
「でも、動じないというのは死ぬことに対してもですね。死に対しても、乱れない、うろたえない。」

なるほど…!辛いことにも動じないということですね。

山本デスク
「お年寄りの方は、死は身近にあるものとして、あるがまま受け入れている方が多いと思いますね。
基弘会では、亡くなられたら施設のみんなでお見送りするのですが、職員は泣きますが入居者の方は泣かないですね。次は自分、と思われているのかも。
なかには、それゆえに早く死にたいとネガティブになる人もいますけど、それはごくわずかで、多くの方が淡々を死を受け入れてらっしゃいます。」

「死は身近にあるもの」この言葉にはズシンとくるものがありました。でも、絶対に避けられない究極の老いである「死」を受け入れるということは、同時にわたしたちに生きることを自覚させるものでもある気がします。
少しずつ、でも確実に死に近づくわたしたち。その過程で、晩年にたんたんと死を受け入れられる器になっていられるということは、その穏やかな日々をささえてくださる施設や介護のプロフェッショナルの方々あってこそなのかもしれません。

次回は、そんな介護の「プロの仕事」と、「日本人の呪縛」について考えてみたいと思います。

text by ikekayo


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