性別と恋愛と肉体と精神

単に“性別”と言ったとき、それは肉体的な性別を指す。ところが人間というものはそう簡単にはなっておらず、肉体的な性別と精神的な性別が存在すると考える。つまりは肉体的に男性であっても精神的に男性とは限らず、精神的には女性であることもある。その組み合わせは当然のことながら、

肉体的男性・精神的男性
肉体的男性・精神的女性
肉体的女性・精神的女性
肉体的女性・精神的男性
の4通りに分かれる。
ここから恋バナというか、人が人を好きになる現象に入っていく。人が人を好きになるという現象は精神で発生することなので精神的な性別が大きく関わってくる。人間は精神が他者を好きになるのだ。ただし、対象の性別は必ず肉体的性別で考えていくことにする。何故なら、性格は親しくすることで計り知れるが、精神的性別は計り知れることはできず、本人でしか知ることは出来ないからである(むしろ誰にも出来ないかもしれないがそれを言っては元も子もない)。
ここで異性愛者、同性愛者という考えを取り入れる。気を付けたいのが精神的性別においてということである。

1と3が異性愛者であることは世間一般に自然な状態であるし、本人自身は全く問題を抱えない。

2と4はそもそも肉体と精神にずれが生じているが、同性愛者であると肉体的性別と恋愛対象が自然な状態になるので、肉体と精神のずれに気付きづらく、そのずれを本人が大きな問題だと思うことは少ない。

本人が苦しみを抱える可能性があるのは1と3でおける同性愛者と2と4における異性愛者である。これらのパターンは肉体的性別と恋愛対象が同性になってしまう。世間一般的には不自然な状態である。本人がこの状態を受け入れ周りが理解してくれない限り、本人はとても苦しんでしまう状態だ。

話が少し変わるが(いや、ここが本題かもしれない)、2や4で同性愛である人間は恋愛対象に対してつまりは異性に対してとても理解がある。何故なら2や4の性別は 恋愛対象と精神的に同性であるからだ。と言いたいところではあるが、今までの話は本人の肉体的性別と精神的性別を考慮するが、恋愛対象の肉体的精神的性別を考慮していないので安易にそうとは言えない。と最後に濁してしまうのもなんなので1つ言い切ろうかと思う。
1や3で異性愛である人にとって、2や4の同性愛者は自分に対して理解を良くしてくれて付き合いやすい。

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