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父へ

2023年4月17日(月)深夜、父が亡くなりました。(享年70歳)
お風呂での心筋梗塞。救急車で搬送されましたが、そのまま命を引き取りました。

私はいつも、夜遅くまで作業をしたりしているのに
その日に限って、子供たちを寝かしつけ、そのまま眠ってしまっていました。

朝、起きたら妹たちから、たくさんの着信と、LINEメッセージ。

役立たずな私。

夜中に気づいてしまっていたら、きっと大急ぎで支度して、子どもたちを叩きお越し、高速道路を大急ぎで飛ばして事故にあってしまっていたのかもしれない。
だから、父の最後のやさしさで、焦って来るんじゃないというメッセージだったんじゃないかと家族は言ってくれました。
もう発見した時は手遅れだったと。

だけど、大変な時に一緒にいてあげられなくて悔しい。
ごめんなさい。

父は厳しく、うるさく小言を言ってくるので思春期の頃は嫌いでした。

子どもを持ち母になり、父の大きな愛情を知り、それからは自然に話をするようになりました。

できることは、できる限りしてあげたいと思い、向き合いましたが

思い出すことは、してあげられた事より、
してあげられなかった後悔ばかり。

父のことで思い出すことは、
嫌だったことより、
やさしかった思い出ばかり。

父の机の引き出しには、節目ごとに書いた家族からの手紙が大切にとってありました。

自分の渡した手紙を読み返すと、
ずっと同じ。
「ごめんなさい。」「大好き」「ありがとう」の内容

だけど、大好き、なんて言葉では一度も言えなかった。
代わりに、ありがとう、だけ。

最後の会話は、実家から家へ帰る時。
父は、ソファに座り、窓の外を見ながら
「何も、いい思い出残してあげられなかったなぁ」
と呟きました。
私は
「そんなことないよ、今日は花見も一緒に行けたし楽しかったよ。ありがと。またくるね」
と言いました。

亡くなり、また手紙を書き
父と一緒に棺の中へ入れました。

一緒に、思いを持っていってくれたらと思いを込めて。
だけど、それは私の都合のいい思い。

やっぱり、生きている時に、ちゃんと言葉にして、その人に想いを伝えなきゃ意味がない。
と強く思いました。

涙が溢れて、何度も何度も泣き続ける私に、
7才と8才の子どもたちが寄り添ってくれて、

「ママ。さみしいね。でもだいじょうぶだよ。
ジジの血はぼくにも流れているから、ぼくの中に生きつづけるよ。
ぼくは元気に長い生きするから、だいじょうぶ。だいじょうぶ」
そう言って、背中をさすってくれました。

こんな、思いやりのある子に育ってくれてうれしい。
父のおかげさまだね。
ありがとう。

目覚めるたびに、夢じゃないのか。。
とため息が出る。

大切な人がたくさんいて、
その人の数だけ、この現実がいつか、あることを考えると、
胸が苦しく、辛くなる。

時間は待ってくれない、1日、1日過ぎていく。
現実と向き合いながらも、生きていかなくてはならない。

日常過ごしていると、忘れてしまう大切なこと。
生きている私にできることは、感じたことを大切にして、活かして、
今、いる大切な人を幸せにすること。
守ること。

忘れたくない。
その思いで、noteにも書きました。

みなさん、当たり前に心がけている事かと思います。
私なんかが、偉そうに語る事ではないですが、今、体験したこの言葉が、何か伝わる物があれば幸せです。

葬儀を終えて実家から家へ帰ると、
庭のなんじゃもんじゃの木に、白い花がたくさん咲いていて、もくもくと綺麗でした。

出る前は、つぼみも少なく今年は咲かないのかなと思っていたのですが、
咲いていて、ほっとして、
いろんな気持ちと重なりました。
毎年、この花をみるたびに思い出すのだろうなぁ。

お父さん、ありがとう。

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