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甲本ヒロトのオールナイトニッポンがよかった

※これは別にラジオの内容の解説でも何でもないので悪しからず。

こんなに何十年とロックンロールのカリスマと呼ばれて久しいのに、こんなに岡山のロック少年のまんまの佇まいってのがすごい。何にもあぐらをかかず、ひたすらにロックし続ける。「ロックンロールを追いかけてるんじゃなくて、ロックンロールから逃げてるんだよ」ってのがなんか痺れる。

誰かがヒロト・マーシーのことを「変わらないという進化」と言っていた。
甲本ヒロトはパンクロックに出会った時に「“次はお前だ”って言われた気がしたんだよ」って言ってたけど、同じ時代に岡山の少年と小平の少年がロックの洗礼を受けて少年のままロックし続けてるっていう、60代になっても。

この2人みたいに何か大きなひとつの洗礼を受けたわけじゃなくても、この『少年』ってのが重要で、自分の心の言葉で話をする人ってのは自分には少年の佇まいで見えてる。

それって多分、子供の頃好きだったものを今も「好き」という形のまま守り続けられる人なんじゃないかなとも思う。
社会の、特に日本の社会の在り方って、自分をコンフォート(同調、同化)させることによって成り立っていて、そこに『少年』はもういなくて、社会の中に自分の中の『少年性』みたいなものを表出させる居場所すらない。

それに比べてアメリカなんかは大人になる、ということはある一定の枠組みの中から抜け出してようやく自分の主義主張を貫き通せる世界へ飛び立てる、早く大人になって社会へ出たいという日本とは真逆の考え方のようで、甲本ヒロトなんか見てるとすごいアメリカ的だなって。


ラジオの中でパートナーとして共演していたサンボマスターの山口隆も「あなた方がいてくれたことにどれだけ救われたことか」と言っていた。

なんかみんな、なんの因果かそれぞれの地域・環境で育てられて、その地域のある特定の学校で肩並べて授業を受けてそこになんの意味性や価値などなくても、無理矢理意味づけされる世界の中で「肌に合わないなあこの世界」とモヤりまくる中、ある日突然メディアを通して天の声的に「はいお前大丈夫!大丈夫だから自分らしく生きなさい」と肩を叩いてくれるような、背中を押してくれるような存在。そんな存在ってなかなかいないし、人間の歴史が何千年何万年とある中で自分の人生はたかだか7、80年しかないのに、同じ時代にそんな存在の人間がいてくれるというのはめちゃくちゃ救いだなあと。

大人になってその居場所なき『少年』の存在する世界がなく、真っ暗な部屋に体育座りで「寂しいよお。誰か見つけてよお」としくしく泣いてる姿が東京ではたくさん見えた。とても息苦しそうだった。
スーツでバリッとキメたバリバリ仕事できそうなベンチャーエンジニアにも学校でお漏らしした過去とかきっとあるんですよ(笑)
だけどどんな過去も「大丈夫だよ」と自分自身でやさしく声をかけて背中をさすって愛してあげなくちゃ駄目だからね。暗闇の中の『少年』とちゃんと手を繋いであげないと現在の自分が滅びていくだけだからね。


ロックンロールってよくわかんないけどなんか、多分音楽のジャンルのことではなくて、同じクラスのかわいいあの子を好きになった瞬間のバーン!って発光する感じとか、息を飲むくらい立ち止まるくらい綺麗な夕陽が現れた瞬間とか、すごく刹那的な、殺意にも似たような、ぎゃーっと叫びたくなる瞬間とか。

甲本ヒロトは「ぼくは演者である前にいちロックファン(聴き手)なんだよ」と言う。それは確か同じ岡山の学校の同級生だった水道橋博士とのラジオの中でだったと思うけど、「こないだローリングストーンズ観に行ったら、あいつらほんとバカでさ、ステージに立ってる姿がロックを始めたての中学生みたいで。あいつらもまだロックに憧れてるんだよな」と言ってて。

発光し続けるってのは、その初めて受けた衝撃にまた立ち会いたい、あの日の『少年』であり続けたいってことで、そこにずっと光を照らし続けられる存在であるってことなんじゃないかな。自分の中の『少年』に光を照らし続ける存在。対外的に何かを放たなくていいし、インプットないしアウトプットの形は変わっても良い。とにかく自分を決めつけない、固定化しない、循環して動かし続けることこそが発光し続けるってことなのかな。

動かし続けるとそういう第六感みたいな、鬼太郎の妖気アンテナみたいなものがビンビンに働く。そうするとすごい瞬間に立ち会えたりする。

3年前の春先、まだ寒いさなかに、山梨県を流れる笛吹川という沢登りの人の中では有名な川をひとりで遡上したことがある。有名なだけあって登るごとに渓相がめまぐるしく変化し、死の危険を感じるくらいに轟々と吹き荒れる滝場があるかと思えば、一面どかんと開けた穏やかな流れに変わったり。そんな中、ある滝場を上がった所に『千畳のナメ』と呼ばれる、鏡のように磨かれた大きな一枚岩の上を滑るように水が流れる場所が登場した。そこを見た瞬間「やべえ〜!すげえ〜!」と叫びながらボロボロ涙が出てきた。その時瞬間的に、「死にたい!」って思ったんですよね。多分本当の意味での死にたいではなくて、好きな女の子登場のバーン!みたいな、言語化できないわけのわからなさがあって、それを言葉にすると「死にたい!」だったのかなと。あの時紛れもなく『少年』だったし、発光しまくっていた。

写真には映らない美しさ


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