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自動車逃亡バラード2

前回までのつづき。

潮見坂公園の駐車場に車を停めて眠りについた頃、窓をライトで照らされ、慌てて飛び起きる。何事かと思いドアを開けると警察だった。

「すいませーん、パトロールしてまして〜。八王子ナンバーだったもんで気になって声かけさせてもらいました」

確かに気になるよな。夜中に人気のない公園で県外ナンバーで、しかも荷物ど満載の軽バン。もう怪しさしかない。

ポ「なんかお仕事か何かで移動されてるんですか〜?」
僕「いや〜、東京出て地元に帰るとこなんです」
ポ「地元はどちらで?」
僕「宮崎です」
ポ「宮崎までこれで!?」

ぼくが20代の頃はまー職質されまくってた。ひと晩に3回されたこともあるぐらいで、自称「職質(される側)のプロ」と言ってもいいくらい。夜に自転車乗ってて対向車側のパトカーとすれ違いざまにわざと2度見して怪しさモーション起こして職質させたこともあった(その時はすごい勢いでUターンして自転車に乗るぼくの目の前にパトカー横づけしてきた)。その時もこの自転車が盗難車ではないという証明を全部用意していたので、降りてきた瞬間に即座にそれらを提示した。

こちとら場数が違うので、どういう対応をすればいいかわかってる。なので第一声発するタイミングでもう免許証を出していた。
基本的にこういう場合はなるべくハキハキと淀みなく、ちゃんと目を合わせてしゃべること。あとごまかしたりせずなるべくオープンに。そういう目の動きだとか一挙手一投足を警察は見ているので、もちろんこっちは悪いことはしてないけど長々といろいろ調べられたらめんどくさいので、あけっぴろげに話す。

ポ「(懐中電灯で車内を照らし)これ何?」
僕「ドライフラワーです。大麻じゃないっすよ!」
ポ「はははは!大麻だったらやばいよねえ!(笑)
実はね〜、以前ここの公園に停まってた車に職質かけたら、大麻所持しててその場で現行犯逮捕したことがあるんです。ぼくが取り押さえたんですけど」
僕「そうなんですか!そりゃ余計怪しみますよね」

ポ「そもそもなんで宮崎帰っちゃうの?」
僕「いやまあいろいろあって、離婚とか」
ポ「そうなの!実は私も一度経験してるんですよね~。まあ同じ経験をした者同士、今後の人生に幸多からんことを!」

一緒にすんじゃねえよバーカ!とか思いつつ、ダッシュボードにあった動物の骨とかダンボールアフリカンマスクにも一切触れず、15分くらいで引き揚げていった。これがプロの技よ(笑)


翌朝。海がほど近いこともあって、夜明けの海を見ながら前日掛川の道の駅で買っておいたしょうが焼き弁当を食べる。

夜明けの国道にマイルス・デイヴィスはよく似合う。夕暮れの国道に岡村孝子はよく似合う。雨降りの街に矢野顕子はよく似合う。ピアノの音が濡れたアスファルトを染める。国道を横切るトラクターが落とした泥をゴルフ帰りの富裕層が乗るマセラティのタイヤが踏み潰す。
過去の記憶と現状で毎秒様変わりする景色が混ざり合って自分の現在地が把握できない。浮遊しているような気分。10年前をトレースする。回想する。現実と向き合おうとすればするほど人は現実から離れたくなり、バーチャルやメタバース、空想の世界に思いを馳せる。その「どちら側か」で生きようとするから苦しいのであって、そのどちらもを自由に行き来する術さえ身につければ、結構身軽だったりする。
車内空間ってそれが可能だから逆に恐ろしいくらいなんだけど、常に歌いまくってたし常にしゃべりまくってた。それは地方へ移動している自分という人間を特定することの出来る人間が身近にいないから、要は知り合いがいないから自由ってのもあるけど、もうなんか関係ねえやーで車を走らせていた。
名古屋に近づくと大渋滞。この一台一台にそれぞれの人生があると思うとなんとも言えない気持ちになる。その中には同じように引っ越し移動中の人もいるかもしれない。知る由もなく通り過ぎる。

名古屋の老舗喫茶店「ボンボン」へ到着した頃にはもうお昼だった。名古屋は雨。わりと強めに降っていた。
店内は混み合っていた。気軽に女友達同士で来る人、おばさまの女子会、スーツを来て商談をしてると思しき2人。客層が自由で、新宿の老舗「喫茶西武」のような雰囲気もあった。こういうお店はいつまでも残っててほしい。

外観


店内に入ったら秒で出されたお冷やのグラスを倒してテーブルをびちゃびちゃにしてしまった。。すいません。
ここは洋菓子が主のお店なので、ご飯ものはない。ここぞとばかりにパフェを頼む。うめえ。雨宿りのひととき。

店内(この直後テーブルを水浸しにしました)
パフェ

パフェを食べ終え、隣の洋菓子店舗スペースで今から向かう大阪の友達に手土産を。
外はまだまだそぼ降る雨。国道は相変わらず混み混み。前日お風呂に入ってなかったこともあり、どうしても銭湯へ行きたくて、大阪へ入ると目ぼしをつけていた銭湯「八戸の里温泉」へ。待ち合わせ時間も差し迫っていたこともあり、即座にドボン。15分も入ってなかったが気持ちよかった。なんで銭湯ってあんな気持ちいいんだろ。
脱衣所のテレビでは着替える前にやっていた宝塚歌劇団のニュースをまだやっていた。それを横目に店を出る。雨はやんでいた。

指定されていた待ち合わせ場所に車を停め、友達と落ち合い、ふたりで歩いて居酒屋へ向かう。目的の居酒屋の目の前の交差点で約束していたもう一人と合流。

それぞれとは約7年ぶりの再会。ひとりはぼくが東京へ上京する前からその存在を知っていた加藤くん。というのも、当時ソニーの工場で働いていたぼくは、休憩中いっつも銀杏BOYZの掲示板ばかり見ていて、それこそ当時は銀杏掲示板の盛り上がり全盛期で、そこでユウテラスだとか加地等だとか、高円寺無力無善寺や円盤の存在を知ったのだ。特にそのきっかけを与えてくれたのが、当時掲示板内にたまに現れていた、ハンドルネーム「KC(岡敬士)」という方で、「ケバブレコーズ」というレーベルを主宰していて、彼の運営するHP内で加地さんや現在メジャーで活躍されている大森(靖子)さん、豊田道倫や前野健太に加え、その時「かとうバンド」として活動していた加藤くんの存在を知ったのだ。加藤くん以前にぼくにとっては加地等の存在がデカかったのだけど、それはまた別の記事で書くとして、かとうバンドを知ったタイミングで彼らがちょうど東京から福岡の四次元というライブハウスにツアーで回ってくることを知り、即チケットを予約しひとり高速を4時間くらいかけてぶっ飛ばしてライブを観に行ったのだ。ほんとに上京する2ヶ月前くらいだった。

福岡四次元で観たかとうバンド

初めて観るかとうバンドはなかなか異様で、ある意味衝撃的だった。ボーカル(加藤くん)は着流しにふんどしという出で立ちだし、ギターの人は下駄履いてズボンをベルト代わりに紐かなんかで留めてるし、ベースの人は目をひん剥いてすごい形相で演奏してるし、ドラムの人は曲の合間にドラムスティックをしゃぶってるし。

ライブが終わって外へ続く階段を降りると4人がたむろしていて、「CD買いました」と話しかける。そして「もうすぐ上京するんで、またライブ観に行きます」とも。まさかその後10年以上の付き合いになるとも思わなかったし、今だにそうなんだけど、加藤くんはかとうバンドを結成する以前の高校時代からフォークシンガーとして音楽活動を初めていて、銀杏BOYZが「世界ツアー」というツアーで全国回っていた時に、地元名古屋で対バンしているのだ。しかもその後リリースした銀杏BOYZのシングル「光」のMVの中で、そのツアーの際峯田と撮ったツーショット写真で登場する。歳はタメだけど、ぼくにとっては常にぼくの前を歩いている音楽の先輩って感じがして敬意を払っている、つもりでいる。

そして今回再会を果たしたもう一人が大将と言って、ぼくが東京で初めて「てけれっつ」という自分のバンドを組んだ時にドラマーとして参加していた奴で、バンドをやっていた期間って正直3年もないんだけど、その中でも一番長くバンドに付き合ってくれていた。しかも同じ宮崎県出身で、初めて大将と新宿アルタ前で会った時彼は宮崎弁べらべらだった。

実は加藤くんにはぼくのバンドにサポートベースとして参加してもらってた時期もあったり、逆にかとうバンド解散後に加藤くんが組んでいたバンドにぼくが一瞬ギターで参加したり、その後加藤くんと大将がそれぞれ大阪へ移住した後ふたりでバンドを組んでた時期もあったりと、複雑だけどそれぞれの関係性は深い。


大将(左)と加藤くん(右)
大将を傘で殴る加藤くん

加藤くんは現在『NEW YAKUZA』として、大将はバンド『裏宣言』のドラマーとして活動している。それぞれがそれぞれの形で、それぞれのペースで今も音楽を続けていることがなんか嬉い。当時と形は違えど。

自分も別に表立った活動というのは全然だけど、音楽をアウトプットすることを辞めるつもりは毛頭ない。

東京、大阪、宮崎、三重、新潟、あとニューヨークとドイツにも今も連絡を取り合える人がいるってのはなんかおもしろい。場所なんて関係ない。会ってない時間すら関係ない。そういう意味ではインターネット様様だけど、正直そこで繋がんなくても別に繋がってるしなー、って感覚はある。

当時バンドで「破滅に向かって走ってゆくぜ」と歌っていたけど、今は生きる方へ向かっている。何かを否定して我が道を行く生き方は何処かで壁にぶち当たるし、誰かを傷つける。三島由紀夫が「自分の為に生きるほど人は強くない」と言っていたけれど、それこそ今は、自分の人となりがあって自分がいる、という感覚があるので、三島の言う「大義のために死ぬ」みたいな大層なものではないけれど、自分含めた周りがなんかもうちょっとおもしろくなればなあーぐらいの感覚で生きている。いやもはや生きる、という感覚じゃなく生かされてるに近い。もしかしたらもうすでに道は与えられてるのかも知れないし、ある種そこに準じている感じ。

ぼくは例えばぼくがヒステリックな波動の声を発し続けたら人や動物は病むだろうし植物は枯れるだろうと思ってる。そういう波というのはとても重要で、どういう発言をしたとかどういう判断をしたかという以前に、まずいい波を発していたい。それは空気とも言える。なので逆に変にピリついた空気の所へは近づかない。いい空気、いい波を持った人と触れ合いたいし、自分もそうでいたい。

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