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自分の体に流れる時間と働き方

昨日。栗園の剪定の仕事を今週頭からやらせてもらっているのだけど、ひとりでの作業なのでその分リスクも伴うけど誰とも関わらないで自分のペースで動けるのでとてもラクだな、ということに気づいた。

今まではずーっと雇われで、指示を受けた通りに動いて、それなりに楽しくはあるもののどうしても周りの動きを常に見ながら自分の役割を判断しなければならないので結構他人主体の動きだしペースなので、それなりに助け合う部分もありつつたまに疲れたりもする。

なんせ一番デカいのはやはり「出たい時に出れる」「帰りたい時に帰れる」のでとてもラクだ。

昨日も朝行くと雨が降っていて、あーやる気が出ないなー(そもそもやる気どうこうで仕事してるつもりはないんだけど)と、車の中で窓にぽちぽち落ちてくる雨粒を見たりなんかしながら小一時間くらいぼーっとしてたんだけど、少し小ぶりになったタイミングで前日切った枝を片付けて手軽に登れる木に登りチェンソーで枝をぱつぱつ切って11時にはさっさと引き上げた。
完全に自分の気分なので、朝そのまま帰っちまおうかなーとも思ったし、1日やろうかなーとも思ったけど、他の事(漫画の連載)とかやらなきゃいけないことに思いをめぐらせたりなんかして今日1日で出来ることを考えたりしてた。それはもう毎秒単位で移り変わる自分の気分によって変化するしそれに伴って行動に移せるので、誰にも左右されないし、こんなに動きが細分化出来る状態って無敵だなと思ったり。

車であがるついでに近くに田の神様(地元では「たのかんさあ」という)が2体あるらしかったので見に行った。

たのかんさあ1。なんだこの朗らかなフォルムは
たのかんさあ2。わりとよくあるフォルム
屋根にヘッドマーク的なお顔が付いてます

昔このあたりでは自分の田んぼでの豊作を祈る為に人んちの田の神様をパクって祀る「おっといたのかん(盗人田の神)」というのがそのへんで横行しまくってたらしい。バレるだろフツーに(笑)
でも実際は自分とこの米が無事収穫出来たらもとの場所に返してたんだとか。それじゃレンタルたのかん、ですよね。いやあそういうの聞くとおもしろい。

雨はもうあがってて、田の神めぐりのテンションで行ったことない裏道をグリグリとドライブ。わざと水たまりに突っ込んでみたり。

田んぼの傍らに立っているセンダンの巨木が勇ましくてパシャリ

ほんとの地元でいい空き家があれば住みたいなあと思っていたのだけど、ずっと郵便配達員をやっていた母親に聞くと住めるような空き家は一軒もないらしく、峠の向こう側の町にならあるんでないかなとそのへんを車で散策していた。あんまりキョロキョロして走ってると「おっといたのかん」だと思われそうですね。やだ〜。

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