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ファッションは「叫び」である!【読書感想文】

日本画家の千住博さんが書かれた、『ルノワールは無邪気に微笑むー芸術的発想のすすめ』という本を読んだ。一般の人々から募集したさまざまな質問に千住さんが回答するという形式の本である。

すごく心に残ったのは、「芸術とは叫びである」ということが繰り返し書かれていたことだ。芸術とは、「こんなに素敵な瞬間がある」「こんなことには到底納得できない」など、自らのイマジネーションや思いを他の人と分かち合おうとするする手段であり、たとえば芸術大学は「叫び方」をきわめるための場所であるということだ。

私はこれを読んで「そうだったのか〜!」と目から鱗の思いがした。
美術館は好きで、以前はよく足を運んだものだったけど、正直絵の見方はよくわからなかった。
でも、作品がそれを描いた人の「叫びたいこと」だったと思えば、あ、そういうことだったの?!という感じがして、急に作品たちとの距離が縮まったように感じたのだ。

それから、さらに印象的だったのは、作品の「叫び」に、私たちが共感できるということだ。たとえ自分が叫ぶことができなくても、古今東西の芸術家たちがあらゆる手段を用いて叫びを表現していてくれて、その中には何かしら自分の叫びを代弁してくれるようなものがあるはずだ。言い換えれば、私自身が心惹かれる絵からは、私自身の(自分でも気づかなかった)心の叫びが聞こえるってことでは?!と気づき、とてもわくわくした。

例えばいまの私は、エドワード・ホッパーの『Rooms by the sea』や、川瀬巴水の『牛堀』なんかに心惹かれるのだけど、それってどういう叫びなんだろう…。
子どもの頃に初めて見て大好きになったミュシャのポスターはミュシャの描く「美」に対する共感の嵐だったし、今思えば、一目見て脳裏に焼きついてしまったユトリロのクリスマスの献立表みたいな小品(?)は、子どものころは今よりもっと特別だったクリスマスの「特別感」が静かに伝わってきて、クリスマスってキラキラってよりはこういう静かで落ち着いた、雪に音が全部吸い取られてるみたいな中でするのが良いよね!!っていう共感だったのではないか…?!ユトリロさんがそういうことを考えたて描いたかはわからないけれど、私は絵から勝手にそういう叫びを聞き取って素晴らしい!と思ったのではないか??!と考えるととてもおもしろい。

さらに、これを読みながら頭に浮かんできたのが、山本耀司さんの『服を作るーモードを超えて』という本である。
山本さんは社会に対して叫びたいことがあって、それを表現するための最適な手段がファッションだったのだと。ヨウジヤマモトの服は反骨精神を意味する、というような印象はあったけれど、その意味がやっとわかったように感じた。
と同時に、ヨウジヤマモトの服がすごく魅力的だけれど(ヨウジヤマモト好きの夫からたまに服を借りるので着心地が抜群なことも知ってる)、自分にしっくりこない理由もわかった。ヤマモトさんとは「叫びたいこと」が違うのだ。
簡単なことかもしれないけれど、千住さんの本を読んでそのことがやっと理解できたように思う。

ファッションは「叫び」である。
これが先述の2冊の本を読んで得た気づきである。
服や靴にも「叫び」があって、私は知らず知らずのうちに、あるいは意図的に、私たちはそれらの「叫び」に共感するもの、そしていま自分が叫びたい(けれど物理的には叫べないような)叫びを代弁してくれるものを選んでいるのだ。

具体的に考えてみよう。
例えば私のお気に入りの夏服は、鮮やかな黄緑系の花柄リバティプリントのワンピース、コットンの花柄ワンピース、爽やかな白と水色のノースリーブのワンピースなどである。
これらから感じ取れるのは…

夏って最高!裸足最高!きれいな色・柄めっちゃ好き!!太陽の下で元気に歩きたい!!!

言語化するとこんな感じだろうか。
特に主張とかではないけれど、「季節を楽しめ」という叫びが痛いほど聞こえる気がした。

服から叫びを感じとるってすごく楽しい。
自分自身とは何かについてのコンセプトを練って、それに合うアイテムを探すのは楽しいけれど、心が惹かれたアイテムから、それの叫びを聞き取ってみる、というのもまた楽しいものだなと思う。


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