スーパースター症候群
七月の抱負を書いて、その後、軽い自己嫌悪に陥っている。
私はいつまで経っても等身大の自分を受け入れられず人生に迷っていたり、それで落ち込んで、大変恵まれた環境で育っているのにも関わらず、過去の辛い思い出に浸ってしまったり、本当に呆れるほど情けないのである。
例えば、もう一度舞台をやりたいだとか、本を出版したいだとか、夢があるとする。思考と行動とその結果は常に連動しているので、今も頭にちらついている「どうせ無理に違いない」「現実味がない」「恥ずかしい」などと言ったマイナスな考えを全部無視して、自由に夢を見ることも、それを書き出すことはとても大事だと思う。考えられない、描けない夢は実現できないからだ。しかし、例えその夢を頭の中で実現できたとしても、現実には、一気にそのゴールに辿り着くことはないのだと理解をする必要がある。
地道で堅実な行動が必要不可欠であるにも関わらず、夢ばかり見て、そして現実を生き、その差に落ち込み、努力をしないので、いつまでも同じ場所にいるのである。だからまず、悲しくなることをやめたい。落ち込んでしまうと本当に何にもできなくなるし、いつまで経っても被害者意識から抜けられない自分が本当に嫌だ。とにかく、私は自分を受け入れることから始めなければならない。そうしなければ、どこへも行けない。何にもなれない。
昔演劇関係で関わった演者さんが舞台を主催していたり、親しい友人が仕事やアートで活躍の幅を広げていたりすると、ふと相対的に自分を見てしまい、心が焦り始める。認めるのも辛いが、嫉妬だと思う。彼らはきっと、私がしなかった行動や努力をして、私が払わなかった犠牲を払っていて、そして単純に元から持っている才能や素質を生かせる場を探し続けて、それが他者にも受け入れられていて、SNSのポストだけを見ると、ただ輝いていて、正直羨ましい。
多分私も愛されたくて、注目されたいだけなのだ。
誰かに私は特別だと認めてもらいたくて、頭の中にあるぐるぐるを、どうにかこうにか表現をしたくて、自分自身の現実にまるで満足できていない。
だからと言って、今日から突然スーパースターには決してなれないのに、未だにそれを上手く自分自身に納得させることができていない。
私みたいに人生拗らせている人って、この世に一体どのぐらいいるのだろう。
拗らせたまま死んでしまう人が殆どなんじゃないだろうか。
だってスーパースターなんてこの世に溢れる人のほんの一握り。
舞台をやってみたけれど、スタイルが悪くて、セリフ覚えも悪くて、動きも悪くて、華もなくて、センスもない。
書くことは続けているけれど、公募の文字数を満たすのに精一杯。
会社員になって、本当に恵まれた環境で働けていてストレスも殆どないのに、自分のやりたいことじゃないと悩んでいる。でもこの安定した給与を手放せないし、生活水準を落とすつもりは毛頭ない。
私はこんな自分を受け入れられるようになりたい。
そして生きがいが欲しい。
自分の実力以上のものになりたがるのは、現代病かもしれないけれど、生きるの面倒くさいとか思っているけれど、やっぱりこのまま死ぬのは嫌だ。ゴールを簡単にしよう。
◎絶対に収入を落とさない。経済能力が一番の精神安定剤で夫婦仲や交友関係にも影響する。
◎書き出した自分の思考が恥ずかしくても、気持ち悪くても、日付が開いても、書き続ける。
◎無理のない程度に書いた作品を提出して、公開する。恥は晒して生きる。
◎一人旅を続ける。旅に出ると生きることに対するモチベーションが上がる。特効薬。
◎身体を動かす。まずはパーソナルジムの残り回数を終わらせて、ダンスかピラティスを始める。
◎毎月の寄付を続けて、できればボランティアも始める。社会に貢献する。誰かの役に立てる。
◎心と精神とスピリチュアルな世界の勉強をする。でも影響されすぎない。東洋医学も興味あり。
◎やりたいと思ったことは試してみる。その後に続けるか決める。
◎家族と友人とご縁を大事に大切にする。でも決して人間関係で無理をしない。
◎正直に誠実に優しく生きる。
思いつく限り書いてみたら心がすーっとした。
なんだ、人生楽しくなりそうじゃないかという気分である。
自分が単純で本当によかった。
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