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創業した会社が消滅して思うこと - 起業の学びと、会社とは何か。

19歳の頃に創業した会社が、吸収合併という形で8年3ヶ月の社史に幕を閉じることとなったようです。

成功とはほど遠いけど、初めて起業して、初めて人を採用して、初めて取引先を開拓して、初めて売却した会社でした。

あらゆる"初めて"を経験させてくれた会社。

そんなに大したことは成せませんでしたが、自分にとっては稀有な体験をもたらしてくれた存在だったので、多少なりとも愛着があります。

その会社の消滅という節目が訪れたということで、ふと思ったことについて少し綴ってみます。

これから起業しようか迷っている方、数人〜数十人の会社をこのまま続けようか悩んでいる方の何らかの参考になれば嬉しいです。

僕のプロフィールは以下のリンクにまとめているので良かったら読んでください!

起業時に志はいらない

僕は、起業したときに何か強い想いがあったわけではありません。

高い志があって、事を成すために起業する人もいました。同世代でも本当に尊敬という言葉しか出てこないようなくらい志高い方もいらっしゃいます。

でも、僕の場合は最初から志があったわけではありませんでした。

もともと、個人でやっていたWeb制作やデザインを法人化したのが始まりです。

起業するときには、自分の中で大なり小なり目的があればそれでいいのだと思います。

「節税のため」とか「カッコつけたい」とか、「社長になってみたい」とか、「この事業行けそう!」とか、最初はそんな動機でも、自分を突き動かす燃料にさえなればそれで良いのです。

ビジョンが必要になるタイミング

起業してからは毎日、売上を少しずつ上げていこう、とただ目の前の仕事をひたすらに取り組んでいました。

そうして少しずつ軌道に乗っていくと、顧客が増え、人手が足りなくなります。

そこで誰かを採用することになるのですが、徐々に会社のミッションやビジョンについて聞かれるようになります。

会社に入るということは、従業員にとっては自身の時間の多くを投下することになりますので、人生最大の投資行為といっても過言ではないと思います。

だからこそ、少しでも関心が持てて充実した時間を過ごせる会社に入社し、やりがいのある仕事を手掛けたいということで、ビジョンやミッションに共感し、解くべきイシューが自身にとってチャレンジングであるかどうかを考え、転職活動をするのだと思います。

ただし、最初からビジョンやミッションといった理念が定まっている会社はあまり多くありません。

なぜなら、経営者が自身に問い、反芻することによって理念が明確になるため、理念が創り出す重厚感は経験や時間に比例するからです。

最初から相当ユニークで、あたま一つ出ている会社であればそれ自体がアイデンティティになるので軸も形成されやすいですが、地道にやってきた平凡な会社は自社のアイデンティティが何たるかで戸惑うことになります。

楽になる瞬間はほとんどない

会社をつくり、事業を始めると、少しずつメンバーが増えていき、取引先が増えていき、ステークホルダーが増えていきます。

それぞれのステークホルダーにとって会社が有益であるために、経営者は事業運営上の問題に対して常に打ち手を考え、実行しなければなりません。

売上とか、KPIとか、そういった目標に到達したりしたときの一区切り付けた感じはあれど、その一瞬を過ぎた後は少し喜んだ後に、すぐ気持ちを切り替えて今まで通り地道に成長していく必要があるのです。

日々、大小何らかの問題が生まれるべくして生まれ、その問題を四苦八苦しながら解決していくことを求められます。

問題は尽きることはないし、問題を解決して目標が達成できたらば、さらに上を目指したくなります。

そうやって会社は続いていきます。

問題は小さいうちに解決しておけば、対処できなくなることはありません。しかし、問題が大きくなるまで放置しておくと、会社存続の危機に繋がります。

だから毎日のように問題を潰しながら会社の成長を考える日々を送るのです。それは決して楽ではありません。

経営者の私心が判断を歪める

野望を持ちつつも、私心をどれだけ抑えることができるかということが、経営者たる者の最大の素質ではないかと思います。

私心は思考から始まり、行動や言葉の端に出てきます。

上っ面をどれだけ良く取り繕っても、ほんの僅かな気の緩みから私心は出てきます。

ですから、常に私心を消す必要があります。

松下幸之助師が仰るに、「賢い人で成功する人と失敗する人の差は紙一重。それは私心があるかないかだ。」ということです。

私心を消すのは、言うが易し、行うは難し。

それを消して、あらゆるステイクホルダーの最大幸福を追求した先に新しいステージが開けてくるのだなあ、と、周りの大成している起業家を見て思います。

株式会社という概念の原点

つらつらと気持ちを記しているときに、そもそも株式会社とは何なのか、という疑問が生まれたので少し調べてみました。

日本に株式会社という考え方を持ち込んだ渋沢栄一が最初に設立した会社は、商法会所という会社でした。

商法会所とは、静岡藩の殖産興業を発展させることを目的とした商社兼銀行です。

財政が困窮していた静岡藩は明治政府から借金をすることになったものの、返済できなくなることが目に見えていたため、金融で静岡藩内の商業を発展させ、その利益で借金を返済しようという目的でつくられた会社です。

そのときの記録にある一文が会社の本質を表しているといっても過言ではありません。

「元来商売といふものは、一人一己の力では、之を盛にすることは難い、西洋に行はれる合本法を採用するが最も急務であると思ふ。」

商売は、1人の力では盛んにすることができない。そのために資本を出し合って力を結集して盛んにしていくのだ。という趣旨です。


また、渋沢栄一といえば、論語と算盤という経営哲学が有名です。

道徳や倫理・大義と利益のバランスを取るべきである、という哲学です。

利潤は追求しなければ事業活動は成立しないが、一方で倫理も大切にしなければ社会全体が良くならない。逆も然りだという考え方です。

こうして歴史を学んでみると、大業を成した多くの偉人は社会に目を向けて素晴らしい道徳心のもとに活動していることがわかります。

会社とは何か、経営者とは何か

僕が拙い起業経験をもとに学んだことは、

会社とは、「1人の力では成せないことを成すための器であり、そのために資金を調達し、人を集める」ためのものである、

ということであり、

前提として、関わるステイクホルダーや社会の為になる事業活動であるべきだということです。

そして、経営者はビジョンを掲げ、私心を持たずに、愚直に日々やるべきことをやる。

そうやって会社は繁栄し、役目を果たし、社会全体の新陳代謝が活性化していくのだな、と感じています。

会社が消えるとき

会社は目的がなくなったときに消滅するのだということも学びでした。

目的が無くなるとき、というのは大きく3パターンあります。

1つは目的が達成されたとき、もう1つは社会がその目的を必要としなくなったとき、そして最後は、経営者が目的を見失ったときです。

目的が達成されたときの例は、特定の目的のもとに数社で設立された合弁会社が吸収合併により消滅するといったケースです。

社会がその目的を必要としなくなったとき、というのは簡単にいえば需要の減少による倒産です。

経営者が目的を見失ったときは、人知れず消滅していきます。たぶん、実はこれが一番会社の倒産・廃業理由の中で実は一番大きいのではないのかな?と思ったりします。


会社は目的が無くなったときに消える、という話の中で一番大切なことは、会社の目的はアップデートすることができるということです。

成長していくごとに、どこまで行くかというゴールをアップデートしていき、創業者もともに成長していく限り、会社は終わることはないのだな、と思います。


少しエモめな内容になってしまいましたが、次また起業するときは、これらの学びを生かして会社をつくりたいなと思っています。

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