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【その1】僕の地震との関わりについて

"最近地震が多い気がする。" "コロナ禍で地震起きたらどうなるの?"といったWeb上の意見を見るにつけ、このタイミングで僕がこれまで経験してきた地震とその時時の私見について振り返ってみた。


1995:阪神淡路大震災

地震というものを強く意識したのは1995年1月に発生した阪神淡路大震災だったと思う。

当時、福岡在住の僕でも早朝に揺れを感じたことを未だに覚えている。

確か、当初は兵庫県南部地震と呼んでいたし、最大震度も6で、何日間かは烈震という言葉が紙面に溢れていたことを色濃く記憶している。(以下の画像は気象庁Webサイトより)

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そして弱冠小学二年生の僕は震度分布をみてこう思った。

「なぜ福岡より佐賀の方が遠いのに震度2なんだろう?」

これがキッカケで図書館などで地震のメカニズムや被害の歴史の本をよく読むようになったと記憶している。


2001:豊予地震

僕は幼い頃から家でクサガメを飼っていた。途中脱走して代替わりもしたが、2020年現在も実家に御年29歳で健在である。

そのカメが地震を予知したのが豊予地震だった。

動物が地震を予知するという話はいくつかの本の中で語られていることを知っていたが、地震予知を目の当たりにして興奮したことを覚えている。

カメが手足をぴくぴくさせながらゲージの中を右往左往。地震前日にいつもとは明らかに異なる興奮状態に陥ったのだ。

確実に地震の前兆だと思い、両親にそのことを話したが、まぁ、相手にしてもらえない。(大人だったとしても普通そうだよね。)

翌日にM6.7、震度3(福岡市)の地震が起きてそれが確信に変わった。

やはり動物は地震の予知ができる、と。


2005:福岡県西方沖地震

当時、福岡在住の僕がこれまでに体験した中で最も規模が大きかった地震がこれだ。その春、晴れて名古屋大学に合格し、新たな生活をスタートさせようとした矢先、3月20日に地震は起こった。

震度6弱だが、春休みであり、移動中の車内で体感したため、その数値から想像するよりずっと小さく感じた。とは言え、市全域で見ると、負傷者1,000余名を数えるほどの規模であり、友人の中にも家屋に被害を受けた者が多くいた。

地震で混乱していた福岡を後にし、どの単位を取ろうかと悩んでいるところに、地震に関する研究を専門にした教授の授業が目に留まった。

その授業は座学中心だったものの、最初の方に自分と地震との関わりについてパワーポイントを用いて発表するコマがあり、僕は直近で体験した福岡西方沖地震について写真を中心にとりまとめ発表した。

すると、実体験を踏まえた発表が聴講者の心を掴んだのか、全受講者の中で最も高評価を得ることができた。それが縁で、担当教授から声をかけられ、"もし興味があるならば現在試行運用中のナウキャストシステムを貸してあげよう。"と言われた。

ナウキャストシステムというのは、この数年後に実運用される緊急地震速報サービスの試験段階の呼び名である。

僕はまだ入学したばかりの身分で試行中のシステムを貸してもらえるなんて、大学すげぇって初めて思った。さっそく自宅PCにインストールしてみた。

その画面がこちら。平時は地図と観測点における振動情報が表示されるだけだが、地震が起こると推定震源地とともに現在地において予測される震度が表示される。

図1

図2

当時、地震を事前に察知するなんて考えられない仕組みだった。だって、iphoneもないし、世間は3Gだし。僕はワクワクして、地震が起きないかと待ってみた。

来る日も来る日も待った。

起きない。。。

たとえ、起きたとしても自宅PCの前にいるタイミングでないとダメだ。

緊急地震速報が鳴るレベルの地震なんて年間数十回の世界なので、その時たまたま自宅でPCを開いている可能性って結構少ない。

冷静になって自然体で待つことにした。


すると、そう遠くないうちに地震が起きた。

2005年7月23日(土)、千葉県北西部地震、M6.0である。

名古屋では震度1か2だったと思うが、ナウキャストが作動したのである。

地震発生は「ポーン」という音とともに知らされた。

そして地図上をS波が近づいてくる。

「ジャン」、「ジャン」という音とともに近づく。

この「ジャン」という音がちょっと恐い。ま、今の緊急地震速報の音にも通ずる怖さだが、徐々に音量が増大する点、一層恐怖心を煽るものだった。

そのとき、ふと思いついた。

関東では既に揺れは到達しているはずだ。東京在住の友人に電話してみた。

すぐに電話に出てくれた友人は驚いていた。今、まだ揺れている状況なのに、名古屋在住のお前が何故地震発生を把握しているのか?と。おそらく狐につままれた感覚とはこういう時に使うのだろう。

ま、そりゃ無理もない(笑)。

電話越しの友人を前に、一人満足できた。


その後、暫く自宅で緊急地震速報を聞くタイミングは無かったのだが、忘れたころ、2005年12月24日に自宅のすぐ近くでM4.8の地震が発生。実際の震度は2か3だった。そのときの画像が下記である。

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やはり、あの「ジャン」、「ジャン」という音が突然鳴ることに対しストレスを感じた。特に、静かな自宅で一人でいるときに音がすると、ちょっとした恐怖なのである。

これを最期に僕はナウキャストシステムを停止させてしまい、機械工学専攻の僕はしばらく地震のことを忘れてしまった。

少なくとも2011年の東日本大震災までは。

その2に続く。

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