見出し画像

それでもわたしが今、東北に関わり続ける理由

NPO法人きっかけ食堂の【note特別更新4days】(3月8日~3月11日)の3日目を担当させていただく、京都代表・事務局の武田彩(たけだ あや)です。よろしくお願いいたします。

画像1

2012年10月に東北にかかわり始めて7年半。
震災から10年目を迎えるこのタイミングで、今まではあまりお客様には話してこなかった私のこと、きっかけ食堂に関わり始めた背景、そして今後の決意を今ここに書いていきます。

=====================

「何かしたい」と「何もできない」
気持ちの狭間で苦しんだ9年前

2011年3月11日。9年前にさかのぼります。
当時、私は中学3年生。合唱コンクールや卒業式を控え、わくわくしているころでした。
震災により父や友人が帰宅難民になり、楽しみにしていた合唱コンクールや卒業式は中止。
入学式も簡易的なものとなりました。

もちろん当時はテレビを見ているだけで何もできませんでした。

一方で小学2年生の時に学校の先生に言われた
「君たちは1995年阪神淡路大震災やサリン事件など大変な年に生まれた。だからこそ大きくなって何かがあったときはみんなが助ける番だ」
という言葉を思い出し、
「何かしたい」という気持ちと「災害の恐怖」の狭間で苦しんでいました。

そんな中当時、高校の先生方に「何かしたい」と相談をすると、
「高校生が何かできるわけがない」
「女の子がボランティアなんて危険だ」
「震災のことは不快に思う人がいるからやめなさい」

と言われ、学校側に否定された一方で、もやもやだけが残りました。

震災から1年半、たどり着いた支援のかたち

画像4

(Teen for 3.11復興支援団体での活動写真)

そんな中、2012年9月頃、友人にTeen for 3.11という高校生による復興支援団体を紹介され、加入することに決めました。

ツアーや数々のイベントを開催したりと、非常に充実していて書きたいことはたくさんありますが、日が暮れてしまうので割愛しますw

そして2013年3月、震災からちょうど2年、瓦礫が無くなったころに初めて東北を訪れました。

早朝、宮城県気仙沼市の漁港を歩いていると声をかけてくれた方がいらっしゃいました。
漁港前の酒屋で働いてらっしゃる小山さんという方です。

画像3

(2013年3月、高校2年生の時、小山さんに出会いました。)

小山さんは、当時の仮設住宅の状況や困っていることなどを聞かせてくださり、最後に、
「私たちに何ができますか」
と聞いたところ、
「来てくれるだけで嬉しい」
と言ってくださいました。

小山さんのために、気仙沼で知り合った方のために、東北にかかわり続けよう。また東北に来よう。

そう決意しました。以来、年に3回以上東北を訪れるようになりました。

画像7

(気仙沼の大好きなみなと祭り!)

こうして活動を続ける中で出会ったのが、きっかけ食堂の代表理事、原田奈美や事務局長の弘田光聖、理事の久保匠でした。

一緒にイベントを作ったり、互いの活動を支え、切磋琢磨してきました。
弘田は大学の学部も同じで1つ上の先輩。
くだらない話から真剣な話まで、いつも夜中に呼び出しては焼肉を食べながら沢山の話をしていました。

画像5

(きっかけ食堂@島根の立ち上げイベント時の写真)

とはいえ、1つ上の弘田が卒業、弘田離れをしてから2年後の2018年の年末。

「きっかけ食堂@京都が危ない」

安定して活動しているであろうと思っていたきっかけ食堂@京都の学生の卒業による担い手不足の問題でした。

同時に、
「社会人になったけど、これからも東北と関わり続けたい。」
という私の想いにより、私はきっかけ食堂の一員として活動することになりました。

画像6

(きっかけ食堂@京都での風景)

初めてから、たくさんのお客様とメンバーに支えられながら活動してきましたが、いいことばかりではありませんでした。

もちろん社会人でIT企業に勤めながらきっかけ食堂で毎月11日の食堂運営、ツアー、イベントの調整、そして準備。
いっぱいいっぱいになり、1人で泣いたこともありました。

でもそれは嫌いになった涙ではなく、やりたいことがたくさんある中でできないもどかしさ、悔しさからくる涙でした。

本当はきっかけ食堂をやらずに会社員として目の前の仕事一筋でやり抜いたほうがいいのではないか。
きっかけ食堂ではなく、個人でやったほうが楽なのではないか。
東北に関わり続けるなら移住したほうがいいのではないか。

沢山悩みました。

東北に移住してもいつか帰ってくるまで待ってるよ。応援するよ。
と言ってくれる大切な人もいます。

それでも私が遠方にいながら
東北に関わり続ける理由。

画像2

(2019年に9年ぶりに復活した気仙沼の小泉海岸で撮影)

それは
「遠くにいても関われる。女の子でも関われる。社会人でも関われる。」
そして
「震災から10年たっても関われる。」
という沢山の関わり方を体現したいから。
(もう女の子という年でもありませんが)

だから私はこれからも活動を続けていきます。

画像8

(いつも美味しい牡蠣を送ってくれる石巻の漁師・善さん)

やりたいことは山ほど。
お世話になっている東北の方や生産者さんをきっかけ食堂にお呼びしたい。
いつか学校の学食に東北の食材を使ったメニューを導入させたい。
食堂のかたちもどんどん変化させていきたい。

私たちの大好きな東北をきっかけ食堂を通して、
いや、かたちはなんでもいいので東北を知ってほしい!!!伝えたい!!!

妄想はただただ膨らむ一方です。

妄想で終わらせないためにも、
これからも私なりの関わり方を探し、見つけ、
そしてきっかけ食堂を通して展開していきたいと思います。

これからも、きっかけ食堂と武田彩をよろしくお願いいたします!

きっかけ食堂京都代表・事務局 武田彩


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?