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smashing! ちぃたんとぱぱと

佐久間イヌネコ病院・喜多村千弦動物看護士は愛犬リイコとともに、緩やかな坂の上にある彼の実家に向かっていた。
大学を中退してからしばらくはリイコと実家の世話になっていたので、懐かしさ反面、心臓破りにも甚だしいわ、なんかじわじわくる、などの愚痴も出る。リイコはこの坂を見るなり動かなくなった。仕方なく喜多村はリイコを抱え坂を登る。ただ、リイコがここから動きたくない理由は他にもあった。というか、思い当たりすぎてそれしか考えられないのだが。
門柱の側に人影。喜多村に向かって手を振るその人物こそ。

「ちーーーぃたーん!」

ちぃたんゆうな。

喜多村千月。
喜多村千弦の父である。

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数日前。喜多村は父が転んで怪我をしたと連絡を受けた。結局は軽い打撲で済んだと、その家の家政夫である本橋が言っていた。最近ちょっと寂しがりになられて。その言葉がずっと胸の中でひっかかっていた喜多村は、いっそ一回顔見てくるわ!院長の佐久間にそう伝えると秒で快諾された。喜多村は少し郊外にある実家へと愛犬リイコと共に向かったのだった。


ぴんぴんしてんな

「そんなことない。痛かったもん。ほら」

千月はスウェットの脛をまくって傷を見せてくる。ああ確かに500円玉くらいの薄い青アザありますよね。ってもう治ってんじゃん。喜多村は溜息をついた。でもよかった。このロマンスグレー優男のくせに頭の中がお花畑な父を見ると、何もなかった事への安堵がどっと押し寄せて、本気で世界の全てに感謝したくなる。
ソファの千月の側にはリイコが座っている。いや、座っているというか、抱え込まれている。

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「リーーーーーイコきゅーーんおかえりおかえりいいいパパだよーパパだよー会いたかったでちゅかーーー」

千月はリイコを見るなりホールドし顔中に頬ずりしチューして舐めまくった。リイコの今のHPはおそらく3/9999。あれから奴は千月の隣で屍のように動かない。あ、目動いた。しかも逸らされた。

「ちぃたんは今日泊まってく?」

誰がちぃたんだ。そうだなあ、まず飯作っていい?

「いいよ!絶対ちぃたん来るからって、しょこタンがいろいろ買っておいてくれてるから」

本橋翔古(男)。お気軽にしょこタン、とお呼び下さい。が口癖の派遣家政夫くん。まだ年若だが、家事電気土木水回り全般に精通しており、この家のネット環境などはもはや彼、しょこタンがいなくては立ちゆかなくなっている。今日彼は不在。おそらく親子水入らずの時間を気遣ってのことだろう。
キッチンに立った喜多村が千月の好物の生姜焼きやなます、だし巻き卵を作り並べると、千月はとても喜んだ。

「ちぃたんのご飯はウチの味する。スタンダードなやつ」

懐かしいてことだろうか。それでもニコニコして食べる父の姿が嬉しい。そして、今日ここに送り出してくれた佐久間鬼丸を思い出す。たかが半日。そのくらいしか離れてないのに。その時、千月の隣にいたリイコが微かに鼻を鳴らした。

「…リイコくんも帰りたくなった?ちぃたんと一緒に」

千月が喜多村にウィンクを返す。
いくら言ってることがゆるくてもお花畑でも、やはりこの人にはかなわない。一緒に居るだけで髪の毛一本ほどの違和感、それをも感じ取ってしまうのだから。
リイコは千月の手をぺろっと舐め、ソファを降り玄関へと向かっていく。千月は苦笑いしながらその後について行く。

「ねーちぃたーん、次ぜったい鬼丸くん連れてきてよ。パパも会いたい」

めっちゃチューする気でしょ

「あ!大丈夫!ちゃんと我慢する」

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顔を見合わせて大笑いしながら、喜多村と千月は軽くハグを交わして玄関を出る。門柱に寄りかかって見送る長身の千月は、どこから見てもロマンスグレーのステキ紳士だ。ほんと、口さえ開かなければ。
坂をしばらく下り振り向けば、未だ千月はそこにいた。その時、脇を通り過ぎた一台の車が喜多村家の前で止まり、中から小柄な青年が現れた。あれはおそらくしょこタンこと本橋だろう。本橋はこちらを向いて軽く会釈し、千月を促し家の中へ入っていった。よかった。心強い家政夫さん居てくれて。

さ、帰ろっか。

下り坂を転がるようにリイコが走っていく。そういえば鬼丸ちゃんと飯食ったかな、そんなことを考えながら、歩いて行く道の先、暖かな空気が舞い包み込まれるような錯覚を覚える。不思議な浮遊感。まるで佐久間が側にいる時に感じる、あの感覚。


喜多村はもう振り返ることなく、リードを持つ手に力を込めた。




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