smashing! あせらずにいそぐおれを
休暇に付き合ってくれないだろうか、白河さんからのお誘い。
インドアな自分とは対極のイベントが巻き起こった。懸命な皆様はお察しかと思いますが俺はテンパリ過ぎてほぼ寝ていない。最後に旅の荷造りをしたのはライターのコンペか何かの授賞式だったか。ここ数日パッキング小物を揃えたりそれが大きすぎたり小さかったり、着替えや新しいアンダーウェア買う買わないでアタフタしてるうちに今日になった。彼の手を煩わせたくなくて、待ち合わせは俺の方から彼のマンションに。ラッシュアワーのだいぶ後、最寄り駅から歩いて数分の道を急ぐ。なだらかな坂の横断歩道を上手く渡れなくて、新しい旅行用キャリーのキャスターがやかましく音を立てた。
「少し待たせてしまったな」
「いえ、今来たばかりです」
マンションのエントランスに現れた彼はモッズコートにヴィンテージジーンズ。脚長っげえ。手には手入れの行き届いた黒い革のボストンバッグ。整えられてないアッシュグレイの一束が額にかかって、そらもお一言で言うと視覚的にとんでもない。誰だこんなお色気魔人(?)を野放しにした奴は。
「地下、あ車で行くんですね!」
「電車だといろいろと不便な場所だからな、それより運転は久々だから泰造くん、怪しかったらナビを頼む」
磨き上げられた黒いSクラスドイツ車。俺の部屋より全然広い(体感)。自信がないと言いながらハンドルを操る手は迷いがない。地下駐車場を出るとピカピカの車体は午後の陽の光を纏わせ、滑るように道路を走り出した。
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永遠に続くかと思われた2時間弱(体感)密閉空間で2人きり(車内ですが)、手持ちのトークネタなどすぐに尽き、弟の泰司のとこに訪ねてくる子猫の話で繋いだりその都度すごくウケてくれる笑顔がもうご褒美なのかお預けなのか自分でもわかんなくなっ(ノンブレス)
「顔が赤いな、すまん酔ったか?」
「いえ、大丈夫です」
「なら良かった。そうだ腹が減ったろう、あそこはシェフが部屋で飯を作ってくれるんだ」
夕陽と紅葉に染まる高原を抜け山間の緩やかな丘を登ると、近代的だが和の雰囲気を湛えた瀟洒な建物が静かに俺たちを出迎えた。鬱蒼とした森の外れ、建物自体が周囲に溶け込んでいるかのような造り。
「綺麗なとこですね、ここの中、ですか?」
「いや、丸ごとだ」
「こ、こんな図書館みたいなとこが?」
「ゆっくり過ごすには最高なんだ」
彼が別荘と呼ぶこの一棟貸しなホテル、値段は想像も付かないけど、確かに別荘持つよりもコストが断然かからないだろうし、何より最高の飯を部屋で作ってもらえるらしい。慣れた様子で携帯の画面でロックを外しドアを開くと、紳士のような所作で俺に手を差し伸べた。
「ゲストが来てくれるのは久しぶりだ、どうぞ中へ」
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「そんな隅っこに座ってないでほら、焚き火が出来るんだ」
部屋付きのシェフの夕食をご馳走になって、贅沢な部屋付き露天風呂に入って(勿論俺の身が持たないので別々に)ゆったりしたふわふわのルームウェアを着て(お揃い)丁度リビングにあたるこの部屋に入ってからずっと俺は部屋の片隅のソファーに座っている。信じられないくらい広くて吹き抜け天井で、高原を臨む庭とフラットに繋がってて室内なのにファイアプレイスでこんなふうに焚き火出来たり。うわあすごい綺麗だなやっぱり側で見たい、恐る恐る彼の側まで行くと、そっと手を引かれ隣に座らされた。こんなに広いのに、ソファーもいろんな種類が沢山あるのに、よりにもよって俺はこんな特等席に座らせてもらっている。
「白河さんは」
「ん?」
「こういうとこだと、ヒュッとなりませんか、脇のあたりが」
「ヒュッ…というのはあれだが、スカーッとするかな俺なら」
「スカーッと、ですか」
二人で顔見合わせて笑った。変に力んでいた体から力が抜けてく。この空間で彼を独り占めできる。運に感謝するしかない。今日はボジョレーの解禁日だな、そう言って彼は部屋に設置されたワインセラーから数本のワインを取り出した。俺はワインは全然わからないけど、ラベルのオーラがすごいってことだけは分かる。夕食の時シェフが作ってくれていたらしいおつまみ?フィンガーフード?を冷蔵庫から取り出してテーブルに運ぶ。ダイス状のベーコンとじゃがいもの炒めたの、地野菜にジビエのソテー。添えられていたのは薄切りのハードブレッド。何もかも美味しいものづくし、だけど彼と一緒に食べるっていう「トクベツ」に勝るものなんてない。彼は手慣れた手つきでワインを開け、リムのないタイプのタンブラーに注いでくれた。
「泰造くん、すまないが少しだけ時間をくれないか、仕事の仕上げをやっておきたくてな」
話の流れで俺も自分の仕事を片付けることに。大急ぎで原稿を仕上げてしまおうとするけど全く集中できない。そんな俺の側で彼はグラスを傾けながらも仕事に没頭する。つい見惚れてしまう。この人とお試しで付き合うようになってだいぶ経つが、未だにこういう「無意識の不意打ち」には免疫がつかないままだ。
数枚の書類にタブレットのみ、見た目はシンプルだけど、きっと複雑なものと戦っている。一見どうにもならなさそうな、当人達にとって絶望しか見えないような状況を、そのために培った経験と知識とで「理詰め」で解決していく。途方もない言葉の海の中で拾い集めたこの人の「盾と鉾」は多くの人を救っているんだ。
凄い人だ。
言葉通り数十分で仕事を片付けた彼は、面白い映画を一緒に観よう、そう言って部屋のテレビを付けた。配信も映るんだなステキ。巨大なサメと渋いマッチョ俳優が闘うらしい。これはハルたちのおすすめだ、タブレットやパソコンは上手く扱えるのに配信の画面はおっかなびっくり、あ、ここ萌ポイントです。ボジョレーワインが美味すぎて進んでしょうがない。いつの間にか彼にもたれ掛かって映画を見ていた。時折笑ったり、これはナントカっていう機材です、とか説明したり。
「いいなあ、こういうの」
「そうだな、サメは好きか?」
「えっと、サメは嫌いじゃないです、ただ」
「うん?」
「こうやって、白河さんと、ずっと…」
ふわふわする意識の中で、あの人がずっと俺の頭を撫でてくれていた。温かな手のひら。俺は「ずっと」の続きをどう言おうとしたのか、何を伝えようとしたのか、ワインのせいで考えが上手く纏まらない。ソファーに横になりながら微笑む彼をぼんやり見つめる。微かな炎に照らされる横顔、無防備というのはどうしてこんなに美しいんだろう。
映画のエンディングなのか微かな歌が流れる。夢現のまま意識が、途切れた。
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目が覚めたらソファーの上でブランケットに包まっ…上、着てない何で、パンイチじゃないか何があったんだ俺。足元に散乱してた服をかき集めてたらコーヒーの香り。そうだったここは高い天井居心地のいい調度品、そして恐ろしく広くてゴージャスな、彼の「別荘」。
「おはよう。寒くなかったか?」
「俺、すみませんなんか脱いでて!」
「昨夜暑い暑いって全部脱いでしまってたからな」
そうだワインを沢山ご馳走になったんだ、俺はあまり酒が強くないから、酔うと奇行に走りがちになる(弟談)。きっと慣れないハイグレードな部屋と、何より泊まりがけっていうシチュエーションにも酔ってしまったんだろう。緊張からの酔い、からの暑いから脱いじゃうとか、なかなか恥ずかしい。
「君の言ってた事、考えておこう」
「???(何だ俺何言った?)」
彼は目尻で笑って、俺の分のコーヒーと、片手いっぱいに抱えた小さなお菓子の包みをテーブルに置いた。ウェルカムスイーツの皿から全種類持ってきた、彼のちょっとドヤ顔な感じがすごく、可愛い。
俺は彼を知ってから今までの自分の全てを書き換えられていくのを感じている。毎朝驚くんだ、穏やかな熱に囚われ拘束されるような快さを。一緒にいたいんだ、繋がれなくてもかまわないんだ。情熱はあっても必ずしも奪い合う必要はない、お互いに、相手がそこに存在しているだけでいい。ただそのことを彼に伝えるのが、俺にとっては何より難しくて。
「…答えってものは焦れば焦るほど迷宮入りするものだからな」
彼が少し照れくさそうに、笑ったような気がした。