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雪に降り込められる(ジョージア冬旅日記)

実はグダウリには4年前にも来たことがある。ちょうど今ぐらいの、同じ時期に。しかしその年は雪が全く少なくて、ほとんどゲレンデには出られずに、ホテルでぶらぶらしたり、近隣のカズベギ山に登ったり、車で2時間かけてトビリシまで観光に出かけたりして過ごした。

そして今回は、風吹きすさぶ吹雪、車も埋まるほどの豪雪。私は天候に関しては、全くもって幸運がない。特に冬。北海道で過ごした卒業式も大学入試も大雪だった。18歳の春、東京で初めて桜吹雪の中で入学式を迎えたときは、逆に不思議な気持ちがした。これからの新しい人生はこちらのほうと共に歩むのかとまで夢見た。錯覚だったけど。

さて、猛吹雪である。
視界3メートル、と言いつつなぜだか楽しそうに、夫はスノーボードを抱えて出ていった。自宅から700キロの道のりを運転してわざわざ来たのだ、滑らないという選択肢は、彼にはない。そこまでの情熱を共有していない私は、朝食の残りをのんびり片付けながら、旅行の日記を書いたり、編みものでもしようかと考えている。

がらんどうのカフェでのんびり。

旅行をするとき、私は短期貸しのアパートメントを借りるのが好きだ。大学生の頃に好きだったテレビ番組で、パリのアパルトマンに一週間暮らす、という回があって、モデルの女性がお惣菜屋さんで買い物をしたり、角のカフェで毎朝カフェオレを飲んだりしているのに、(控えめに言って)ものすごく感銘を受けた。パリにまで来て、ショッピング三昧をするでもなく、美術館巡りをするでもなく、ただ淡々と日常を生きる、それがいい。マーケットに出かけて見知らぬ野菜や食材を買ってみたり、他人の家の知らないキッチンで多少戸惑いながら料理をしたり、毎日同じカフェやバーに通って顔なじみになったりする。あれからもう40カ国ぐらい旅をしたけれど、それが私の旅の基本姿勢になった。

グダウリは大きなスキーリゾートで、ホリデー用のアパートメントがたくさんある。素敵なレストランやバーが階下にあって、スパやプールがついていたりもする。けれども私達がやって来た12月下旬というのは、ジョージアではまだまだシーズン前で、年末年始と1月7日の正教のクリスマスに向けて準備をしているという感じ。観光客もまだ少なくて、宿もレストランものんびりとしていた。

私は、退屈なシーズンオフのリゾートという風情も好きだ。元来、何もやることがないのを楽しみにする性質なので、今回も、雪を眺めながらぼんやり本を読んだり、カフェでベイリーズの入った甘いカプチーノを飲みながら編みものをしたり、部屋で小さな書きものをしたりして過ごした。時折、暇を持て余しているウェイターと話し込んだり、お掃除のおばちゃんたちと世間話をしたりした。みんなリラックスしていて、暇というのはいいものだ。その傍らで雪はしんしんと降り積もり、降り積もった雪は音を吸うから、静寂が辺りを包んでいる。そしてそっと夜の闇がやって来る。

料理、と言っても簡単なアペロの準備くらいにとどめておくのがいい。

夕方のはじめに、彼は山から降りてくる。雪だらけで、何度も転んだ話とか、リフトが強風で止まった話とか、妙に楽しそうに話すのを聞きながら、一緒にお酒を飲む。青りんごみたいな香りのジョージアのスパークリングワインを見つけたので、気に入っていつもそれを飲んだ。それに、ジョージア産の生ハムやチーズを並べたり、マーケットでロシア産の缶詰がたくさん売られていたので、スモークした小魚や鱈の肝の油漬けを買って小さなフィンガーフードを作ったりした。薄いパンをフライパンでにんにくバターとかりっと焼いて魚をのせ、ディルや小葱を刻んでたくさんまぶして、ほんの少しお醤油をたらす(家から小瓶を持参した)。手作りっぽい量り売りのピクルスも添えた。まだ燻製のお魚が余ったので、炊き込みご飯も作った。これはお夜食用に。吸水させた米に、持参した小袋のうどんだしの素と、缶詰の魚、醤油を少量とたっぷりの黒胡椒を合わせて炊いて、蒸らすときに小葱と小さなダイスにしたチーズを混ぜる。小さくおにぎりにしておいて、夜中に食べた。或いは、昼食を食べそこねた日、トビリシの日本食材店で買った日本のインスタント・ラーメンを茹でて食べた。スキー場らしいね、と夫は喜んだ。葱と卵、豚肉のハムをのせたから、なかなか気分が出る。そんなふうに、小さな料理をしてお酒を飲んでいるうちに、窓の外では段々に空が藍色に染まって、やがてクリスマスの電飾がきらきらとひかりはじめる。

ラーメンにはビール。

少しのんびりして、夜が更けた頃に、階下のレストランにゆく。ちょっとモダンなジョージア料理のレストランで、たくさんの種類のワインと、素敵なクラフトビールがあった。隣国なので食材は似ているけれど、調理法やスパイスの使い方が、アゼルバイジャンとは全く違う、ジョージアの料理。さっき軽くアペリティフにおつまみを食べているので、サラダと温かい皿を二品頼むのが私達にはちょうどよい。気に入りは、トマトときゅうりに胡桃の砕いたものをまぶして、たっぷりのハーブで和えたサラダ。地元のワインをグラスで頼んで、サラダを食べながら料理を待つ。ワインも、いろいろ飲み比べしたかったのだけれど、大きなグラスになみなみと注いでくれるので、1杯で終わってしまう。

おしゃれ仕様のムツヴァディ。

肉料理は、ムツヴァディという豚の炭火焼きがわれわれの気に入りで、トゥケマリという青い杏のような果物で作った酸っぱいソースを添えて食べる。アゼルバイジャンでは豚肉を食べる習慣がないので、豚料理を食べられるのもうれしい。ムツヴァディは大きめの一口大に切った肉を炭火で焼いただけのシンプルな料理なのだけれど、しっかりとした赤身とかりっと香ばしく焼いた脂身がおいしくて、添え物の玉葱の薄切りと、酸味のあるソースでさっぱりと食べられる。この梅のような、杏のような果物は、アゼルバイジャンではアルチャと呼ばれていて、同じようにソースにもするのだけれど、こちらでは主に魚のお供になる。ぱりっと揚げたり、炭火でこんがりと焼いた魚にも、この爽やかな酸味と香りはとても素敵で、私はお醤油をかけるより気に入っているくらいだ。

鶏肉の料理で私たちの気に入りは、チュクメルリ。これはぱりっと揚げ焼きにした骨付きの鶏のぶつ切りを、これでもかという量のみじん切りのにんにくとさっと煮込んだ料理で、こってりとクリームが入ることもあれば、さらりとした牛乳のような時もあり、地方によってはにんにくと油の煮物のようになることもあるそう。にんにくの香りを吸い込んだ香ばしい鶏肉もおいしいけれど、たっぷりのソースが味わい深い料理で、竈で焼いたパンを頼んで吸わせて食べる。本当ににんにくがたくさん入っていて、一月分くらいを一皿で食べる気分。

クリーミーなチュクメルリ。つぶつぶはみんなにんにく。

夫のいちばん好きな料理は、ハシュラマというシンプルな料理で、元々はトルコの羊肉をあっさりとトマトやじゃがいもと煮たポトフのような料理だと思うのだけれど、ジョージアでは牛肉の水煮がたんまりと皿に盛られて出てきて、たっぷりの香草と生のにんにくがまぶしてある。牛すじも赤身もほろほろになるまで柔らかく煮込まれているのだけれど、旨味が抜けていなくて塩味だけなのに滋味深い。それに刻んだコリアンダーと生にんにくの刺激が加わって、あっさりしているのにとても満足のゆく一皿。お店毎にソースが添えてあったり、シンプルに塩味だけだったり。

他にも、小麦粉を使った料理もたくさんあって、ヒンカリという大きな水餃子みたいな料理や、ミルキーでおいしいスルグニチーズなどをたっぷり使ったハチャプリというピザみたいな生地の料理もおいしいけれど、それだけでお腹がいっぱいになるので、別の機会に。旅行中は、胃が二つあったらいいのになあ、なんて思うくいしんぼう。

三日目の夜中過ぎに、やっと雪は止んだ。

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