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日記という名の短編エッセイたち

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取るに足らない日常の出来事、なんて思うのは本人だけかもしれませぬ。
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#エッセイ

2023年さいご、日本のすみっこから

去年の今頃ともに年の暮れを過ごした人はもう隣にいなくて、これまでで人生が一番動いたこの1年、どういうめぐり合わせかぼくは今、日本の西の西の、南の方のすみっこにいます。 沖縄県、石垣島。 去年の今頃どころか今年の夏まで石垣島の「い」の字も頭になかったのに、今こちらに移って3週間が経ったところ。 冬だけど今日も25℃、日中は半袖で十分なくらいの南国。 まだ知り合いもいないので、今年の年越しはおうちでTVを見ながら八重山そばを食べるんでしょう。 noteをずっと更新できていなくて

ここしばらくの涙もようについて

「年をとると涙もろくなる」ということの少しはじっこの方を、さいきん理解ができるようになった気がする。さいきん毎日泣いている。泣きわめいているわけではなく、さめざめと泣いているわけでもなく、目尻から涙が溢れるかどうか。視界がぼうっとなって、鼻と目の奥の方が少しツンとして、深呼吸をひとつ。そんな具合の涙加減が毎日のよう。 「年をとると」、というから何か「弱ってしまって」とネガティブな言い回しに聞こえてしまうのかもしれないけれど(そして少なからずぼくはそういうものだと信じていたし

世間の「営み」から外れるというのは、

今日はそろそろnoteを書きたいな、など、思ってはいるのだけれど、いざこうした時間になってみるとそれなりにやるべきことの大小を見つけてしまい結局エディタを開くまでにたどり着かずに終える日々を過ごしています。 そう、8月に19年勤めた飲食の仕事を終え、今は次の仕事のための準備期間中。…といえば聞こえはいいのだけれど、平たくいえば今ほぼ無職なんですね。 大学を出て20年以上ずっとまともに働いてきたから、もう無職3ヶ月目に入った今でもこの日々がなんだか嘘のようで、完全無職ではないの

【改稿】『またあしたの窓』を開く(全体公開)

 私のなかに、激しい独占欲がありました。  自分にそういう感情があることは知っていました。例えば好きな事物において、よりお詳しい方がいたら、無条件降伏をして尊敬する方向に舵を切ります。それ以上恥をかかないための保身です。でもそうでもないのに知ったかぶっている人を見かけたら、徹底的に叩きのめしたくなるのです。これはとてもよろしくない、私の考え方の癖です。  先日環さんのコミュニティ内で、私にとっての神さまの話をしました。宗教的なものを論じることはわたしの能力ではできなくて、

ずっと前から写真に教えてもらっていたこと、戒めとしての軽い日記

軽くなった右手で次の誰かを