見出し画像

ボランティアをして自分のことがイヤにならなくなった話

いつからだろう。

私が今の住まいに引っ越しをしてしばらく経った時だから、6、7年前だと思う。

町内の回覧板だったか、ある時、町の広報などを盲人者用にCD録音をするボランティアがあると知って、ちょっと話を聞きに、と軽い気持ちで説明会に行ってみた。

最初、あまりに会の方の年が違いすぎる(平均年齢70歳ぐらい)のと、

我が子がまだ乳児だったので

「自分が毎日うまく寝られない状態ではね…」と説明が終わった後

「では私はこれで」とその場から立ち去ろうとした。

すると、


「あなた、これ入らへん? わ〜お仲間ができて嬉しいわぁー」


と、一緒に説明会に参加していた美人の初老のおばあちゃんが、いつに間にかむんずと私の袖を引っぱっている。

「え、ええっと」と返答に困っている間に、

「初めてやから、どきどきしたわぁ。やらへん?ね!一緒にやろ!」

と言われ、まごついているうちになぜか入会に。

そんな始まりだったが、途中、出産やら里帰りでお休みする時もあったが、なんとか担当の課題をこなし、訂正をもらって、また修正録音、そして完成までしたところで各家庭に配布して、ということを毎月のようにしてきた。

このボランティアは、毎月、広報だけでなく、朝日新聞の天声人語を入れたり、自分達の選んできた読み物を入れたりするのだけれど、私は関西生まれなのでアクセントが違っているため、アクセント辞典というものを取り出して、辞書引きして全ての文章のアクセントを直さなければならない。

子どもを寝かしつけしても大体一緒に寝てしまうので、真夜中に起きて辞書とにらめっこしたり、録音したり。

そんな事を続けていたある時、夫はそんな私をみかねて

「なんでそんな大変なことをするんだ、辞めたらいいじゃないか」

とちょっとした拍子にケンカになって言われたが、

私自身もどうしてやっているんだろう、と考えてみた。


思い出すのは3歳ぐらいの時の自分。

私の実家は自営業で店をやっていたために、私が生まれた時はすでに忙しい状態で、気がついたら、3歳の私の口から言葉が出ていなかったらしい。

「この子、言葉しゃべらへんやん。」と自分の母(私からすると祖母)に言われてようやく気がついた私の母。

病院に行こう、といっていたら言葉が出始めたらしい。

今思うと、本当に最初の3歳ぐらいまでは大切なんだなと思うけれど、親としては必死に働いて、そして愛してくれていたのだから十分に思う。

そんなこんなで、声を出す、ということが私にとって一つの喜びで、自分のことをみてくれている、認めてもらっているという一つの形になったようだ。

そして大きくなって、今はどうかというと、自分の声は恥ずかしいと思う気持ちが強くて、なかなかずっとは喋れないこともある。

というよりも、言葉を声として出すと、どうやっても抜け落ちていくものがあるのだ。

だから自分が詩の朗読をやっているのだとも思える。

私にとって詩の言葉は深い泉から汲み出した金色の言葉で、

そのほとりに行って、水面を覗いて静かにして見ないと、水面が波打ってしまって見えない。

そんな自分が、いわば子育ての大変な時にボランティアをしているのは、良い記事や文章に日常的に出会えること、言葉によって救われることがあること、そしてなにより、最初に説明会で出会った方を含めていつも応援してくれる子育ての先輩達がいるからだと思う。

今月も録音したCDの修正するところをリストにしてもらって、戻ってきた。

気づけば、毎月訂正箇所が少なくなってきている。


はた、と気がつく。

わたし、前よりも、

自分の声も、自分のことも、

嫌いじゃない。

人のためにすることが自分の喜びにつながっていて、自分が集中している時って自分のことが嫌いとかっていう気持ちなんてなくなってしまうんだね。

画像1





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?