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モデル作りにおける「思考のクセ」

 レゴ®︎シリアスプレイ®︎メソッドを使ったワークショップを参加者としてもファシリテーターとしても重ねるつれ、モデルの作り方や表現方法においてある人独自の「表現のクセ」があるのではないかと感じるようになっている。

 例えば、私は毎月「定点観測」と称して自分の現在の状況を表現している。が、自分を中心として、前方に課題、後方に不安が現れることが多く、空間を3列(自分の前、右側、左側)に区切って表現することが多い。

 繰り返し現れてくる「表現のクセ」は「思考のクセ」である。それは、丁寧に作り込まれたワークシートの枠組みのように、それに沿って考えていくので私自身の思考の広がりとスピード感を高めてくれる。

 それと同時に、そこに私自身の見方を縛り付けていると感じる。今のところ強く感じることはないが、その「思考のクセ」が問題の源泉になっている可能性があるかもしれないと思うと不安になることがある。

 同時にそれは希望である。なかなか素晴らしい答えにつき当たらなくても、そのクセを脱して考えたときに見える思考の広がりが残されているかもしれないということでもあるからだ。

 自分自身の「思考のクセ」に気づくならまだしも、それを外すというのは、とても難しいことである。どうすればいいのかと考えた時に、その救いになるのは他者の存在である。

 誰もが何らかの「思考のクセ」をもっている。大事なのは皆で考えてみるということである。自分一人ではなく、他の人と同じ問題を考えてみて、突き合わせてみる。そこには当然、差がでてくるが、誰が正しいかに拘ってはならない。

 自分とは異なる思考の仕方で考えたときに見えてくることの表現の有り難さに感謝しながら話を聞こう。ワークショップの同じテーブルに座って、自分の「思考のクセ」を補ってくれる存在に感謝したい。

 繰り返すが、自分の「思考のクセ」に気づき、変えることは本当に難しい。それを補い他の人の意見を大切にすることで「自分を変える」と同等の効果があるとすれば、そのほうが随分と容易である。しかも、お互いにそのような態度で意見を受け止める関係になれば、相互に恩恵がある。素晴らしいことだ。

 私がレゴ®︎シリアスプレイ®︎メソッドを通じて作りたい人々との関係性や、考える場というものは、そのような全員が自分の思考クセを超えていけるようなものなのである。

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