オタクな中学生の私に贈る言葉
もしタイムスリップができたら。
過去に戻れたら。
こんなメルヘンな妄想をする。
もし過去の自分に何かを伝えられるなら、中学生の時の自分に何か言ってあげたい。
あの時もっといろんなことに気づけていたら、今の自分がもっと良くなったはずだと思うのかもしれない
なんとなく入ったテニス部、サボってないでもっと頑張ったほうがいいんじゃない?
テスト勉強もいいけど、点数だけ気にしてても勉強の意味ないよ?
もっといろんな本読んだり、映画見たりしたら?
などなど、
してあげたいアドバイスは山ほどある。
とはいえこれらは、あわよくば教えてあげたいこと。それなりに、部活や勉強は頑張っていたと思う。
ただ、一つだけ。
どうしても一つだけ、伝えたいことがある。
それは、
ジャ◯ーズにハマりすぎだよ??
ということ。
そう、中学生の私は、ジャ◯ーズにハマりすぎていた。
小2の時に嵐に出会ってから約10年間、私は彼らが大好きで大好きで仕方なかった。
王子様のような衣装を着て、歌って踊って空を飛んで、お互いをくん付けで呼んで、バラエティでも面白くて、なんでもできる彼らのことが大好きだった。
テレビのおまかせ録画のキーワードに「松本潤」「山田涼介」「平野紫耀」と登録して、彼らが出ている番組を片っ端から見た。
片っ端から見ていると、推しが出ているドラマに他のグループの誰かが出ていたり、バラエティで先輩後輩の絡みが見えたりして、雪だるま式に知識量と愛が増していく。
何年も追う内に、いわゆる「事務所担」になっていき、推し活にかける熱量は高まるばかりだった。
今思えば異常だったが、当時はそれが日々の活力だった。
ジャ◯ーズは、私の光だった。
問題は、幼き私が半ば本気で彼らに恋していたことにある。
道明寺のことが、金田一のことが、本当に好きだったのだ。
10歳そこらの女子が出会ってはいけない、かっこよさだったのだ。
そんなふうに「恋」してしまったあかつきには、何が起こるか。
そう、
ありえないほどの面食いが誕生するのである。
私は中学の初めの自己紹介で「嵐とHey!Say!JUMPが好きです!」とオタクを公言した。
それだけじゃない。
周りの女の子たちが「〇〇くんかっこいい〜」と恋バナで盛り上がる中、私はいつも「え、〇〇?全然かっこよくないよね?笑」と返した。
完全に、終わっている。
私は「かっこいい」を松本潤や山田涼介で定義し、現実世界にもその物差しを向けていたのだ。
完全に、終わっている。
友達の好きな人を内心小馬鹿にしながら、「かっこいい人、いないな〜」と常に嘆いていた。
完全に、悲しきモンスターなのである。
まだ、それだけじゃない。
私はクラスで、推しが出る番組の宣伝も行なっていた。
「明日のVS嵐は2時間スペシャルだから!」とか、
「明日朝のワイドショーに昨日のオーラスで〇〇の誕生日祝いしたところ出るかも!」とか。
休み時間に大声で呼びかけるだけではない。なんなら、黒板の隅に番組名と放送時刻をメモしたりしていた。
テレビ局の人にお金をもらいたいほどの働きっぷりである。
あそこまで過度にジャ◯ーズに夢中じゃなければ。
今だからこそ考えるifだが、もしあそこまで夢中じゃなければ、もっと周りにいる人の魅力に気づけたかもしれない。
部活頑張ってるのかっこいいな、とか、
この人話してみると面白いな、とか、
もっと日常の中で、普通のことで、小さいことでいいから、もっと目を向けられるところがあったはずなのに。
あんなに上から目線に、表面ばかりを見て人を評価することなかったのに。
イタすぎる中学生の自分も愛してやりたいところだけれど、22歳になった今でこそ、中学時代の後悔が止まらない。
あの時の自分に、2024年の今の状況なんて伝えたら、多分1週間は寝込むし、相当引きずるだろう。
とはいえ、何に対しても「それなりに」しか頑張れなかった自分が、唯一夢中になれたものだ。
彼らと出会っていなければ、勉強も部活も、「それなりに」すら、こなせていなかったかもしれない。
私なりの、とびきりの青春を楽しませてくれた彼らには、いつまでも感謝しているし、心のどこかで応援し続けたい。
でも、中学生の自分、
クラスで推しの番宣だけは、しない方が良かったよ?
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