後悔をしないために

目標と身体の葛藤

長女の引越し作業が深夜に食い込み、次の日の散策は延期となった

だが、痩せた長女の姿に
「無理やったら、実家に帰ってくるんだよ」
何度か声をかけた

できるとこまでやりたい
気持ちはわかる
身体を壊しては意味がない

身体と心の健康あってこそだ

「大丈夫だよ」
本当に大丈夫な時に、大丈夫って言う人は少ない

何かしらあるから大丈夫なのだ

あまり無理はしてほしくない
身体を壊したら、元に戻すのは二倍のパワーを要する(私の故人的見解です)

親っていつまでも小言が言えるわけではない
だんだん歳をとり、子供の心配はずっとするが、自分の身体の心配が幅を利かせてくる

小言を言える、言われるうちは、お互い元気だからこそだ

私も父を亡くしてから、父の偉大さを改めて知った
物が壊れたり、DIYをする度に
「どれを買ってくるのか、釘はどれか」
昼夜問わず電話したら、常に快く答えてくる

Amazonのように送ってきてくれることも

そんな父がいなくなってから
私も父のように温かく見守れる親に
なれただろうか

まだまだ、足元にも及ばないが
私の父のDNAが
心配はしすぎても、しなさすぎても
後悔しない、させないように

と言っている気がして
過剰な心配症だが
ただ幸せを願ってやまない

きっと父もそう言っているだろう
私の目から泪が溢れ出てきた
きっと、父がそうさせているに違いない

後悔させないように、と


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