祀られなかった者たち

 神道という宗教は主流な大きな流れを持ちつつも地方の宗教を見境なく吸収した物だと私は思っている。同じ神道という宗教とされつつ地方によっては全く異なる形で信仰されることもあるからだ。
 神道には御霊信仰という悪さをする霊を祀り上げることによって機嫌をとり、悪さをしないようにするというのがある。悪霊や歴史の敗者でさえ祀り上げるが祀られなかった者たちというのも多くいる。
 まず、古事記に登場するヤマタノオロチ、建速須佐之男命(タケハヤスサノオノミコト)が奇稲田姫命(クシナダヒメノミコト)と出会い、めとる場面に登場する八つの頭を持つ怪物じみた蛇であるが尾先から出た付属品の天叢雲剣以外は少なくとも私が確認した限りでは祀られていない。悪事を成すだけの力はあり、御霊信仰の対象となり得るスペックはありつつ、それよりもパワーが強いとされる須佐之男命に配慮してのことかと思われる。単に須佐之男命の方が信仰を集めていたというだけなのかもしれないがそれでも配祀神としてさえ祀られていないのは配慮を感じざるを経ない。
 次に長髄彦命(ナガスネヒコノミコト)、神武天皇が大和を治めるにあたって神武東征と呼ばれる侵攻をした際に抵抗した神である。こちらも古事記に登場するが少なくとも長髄彦命の名前で祀られている神社は私の知る限りゼロでもしかしたら長髄彦命を別の名で祀っているのかもしれないという不確定神社が一社あるくらいだ。神話に登場した神の中では同じ朝敵でも建御名方命とはかなり違う扱いがなされている。建御名方命は全国に諏訪神社を展開し、長髄彦命は一つあるかないかという登場場面に問題があるのか扱いに天と地の差がある。
 朝敵ではないが黄泉醜女なんかも祀られていない、思うに黄泉醜女というのは無数の亡者の中の1体という位置づけなのではないかと思う、特定の1体や1柱でないために祀られることがないのだろう。
 まとめると朝廷への忖度で祀られない場合と特定の1柱という明確性がないから祀られないという場合があるだろうと考えられる。朝敵でも祀られている場合は後世の子孫が頑張った(例えば建御名方命の一族である諏訪氏は朝廷の下に従(つ)いている)もしくは朝廷にとって地方を抑えるために祀った方が利益があったという場合が考えられるだろう。
 いつか祀られなかった者たちを祀る社が建てば彼らの想いも報われるのではないかと思うのだ。


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