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重層仮説

 何かしらを主張する時、必要なのは理由や根拠である。特に過去のデータや科学は主張として有用でよく使われる。なぜならこれは誰が見ても根拠として適当であるからである。
 過去は変えようがないし、科学もそれが間違いでない限り変えようがない。しかし、科学の方に関して言えば主張の方法に抜け穴がないとも言い切れない。
 さて、科学は一つ一つの物事に根拠が明確に示されなければいけない、これはこうであるが「もし」こうならばこうなる「だろう」からこれはこうだろう、というような文には要注意である。
 このような文は科学ではなく頭の中の想像である。そしてこの「もし」というような表現が多ければ多いほど科学からは遠ざかっていくと考えた方がいいだろう。
 例文をだそう、
「もしあなたがランニングを始めたらAという物質が体の中に生成される、Aはランニングという行為によって生まれるため恐らく体に悪影響はないだろうと考えられている、それどころかAは身体にいい物質なのではないだろうかと考えられている、科学的にランニングは健康に良いとされるのでAもまた身体に良い物質である可能性が高いのである。」とこんな文章があったとする、この文章で確かなのはランニングでAという物質が生まれることのみであるが、ほとんどこじつけのような根拠でAは身体にいい物質である可能性が高いと結論づけている。しかし、科学という言葉が信仰を利用した嘘で書いたような強い信用を得ている言葉であるがゆえに文に信憑性が生まれているのである。文で見ると分かりやすいかもしれないがこれをテレビ局員が言っていたらおそらくあなたは信じるのではないだろうか?
これは恐ろしいことであるがよくよく新聞や朝のニュースを見るとこんな暴論がまかり通っていたりする。人は理由があってかつそれっぽい説明があれば信じる傾向があるのである。
 この方法を使えば牛脂をさも市販のクリームより効果のある物のように見せられる。
 「もしこのクリーム(実際は牛脂)を塗ったならきめの細かい油によって表皮が守られるでしょう、そうなれば血行もよくなり代謝もよくなる、そうなれば美肌も手に入れられるのではないでしょうか?そして、代謝が良くなったことで痩せることもあるかもしれません」とこのようなデタラメな説明ができる。実際にこの文言を使ったら法に引っかかる部分もあるが、うまい言い方をすれば水が化粧水以上の効果があるように、小麦粉が歯を白くしてくれるように思わせることができる。

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