努力することに意味がある。

僕はこの言葉が嫌いだ。
いや、正確にいうとこれは努力をして結果を出した人が言っていい言葉だと思う。

よく「結果よりその過程が大事である」「努力することが大事」とか聞く。(特に学校で聞くことが多い)
結果を出してないのに、その努力が正しいとは思わない。結果が出て初めてその努力の正当性が証明されると思っている。

結果が出ない=①努力の量が足りない②努力の仕方を間違えている③努力の発揮する方法を知らないの3つだと思う。

僕はずっとアスリートとしてサッカーをやってきた。大学のときはプロに行くレベルの人もいた。その中でレギュラーをとれなかったのは僕の努力不足。その頑張った過程に意味を見出すことはできない(正確にいうと2軍のキャプテンまでなった結果に対しての努力の評価はできる。だが、目指していたのはレギュラーだから結果を出していないという自己認識)

この考え方が日本には多いと思う。というか、この言葉を言う人が多い。

社会はそんな甘くないと思う。結果を出さなければいかに優れた人でも言ってることに説得力はない。ビジネスにおいて称賛されている人々は結果を出した人たちだ。結果を出してない人たちの過程なんて見向きもされない。

今の高校生に伝えたいこと、それは結果を出さなければ意味はない。結果が出て初めてその過程は意味が出る。(今母校のサッカー部でコーチをしているがその子たちには伝えている。)

だからこの先僕は結果にこだわる。こう考えるあたり根っからのアスリートなのかもしれない。

そしてもっと成長するために結果をだして、その次に結果の出し方(話が矛盾するが結果までの過程)にこだわる。どのように出すか、どんな人たちと出すか、どんな理念を持って出すか等。

結果で語ってこうぜ。

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