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別れた男の話なんてフリー素材

だと思ってるんですよ。基本的には。

先月、長年付き合って同棲もしていた恋人に振られた。

まあ、いろんなことがあったので友人たちに悪口でも言いふらしてスッキリしたら次に進めるのではと目論んでいた。

でも悪口が思ったようには、というかほぼ全く出てこなかった。

「彼はこんなに酷い男でこんな酷いことされて本当に辛くて大変だったの」
と恋愛の終わりを第三者に説明する時にはそれが楽な方法だ。
聞く側も「それは大変だったね、早く忘れなよ」と言えばいいだけなので友人たちのためにもそういう言い方が良いんだろうと思っている節があった。
でも全然できなかった。

そんな悪意に満ちた伝え方が出来る程私と彼は憎しみ合ってはいなかったからだ。

彼を悪者にして、悪口言うだけ言ってスッキリしてさっさと切り替えて次に行く。
それかもう全く一言も発さずに完全になかったことにしてしまう。
それが出来る人は凄く合理的だし格好いいと思う。

でも私にはできない。
0か100にはなれない。
だって人生に起きる出来事はいつも62とか17.35とかで出来てるから。
しかもその数値は私にとってはセンチメートルだし、彼にとってはキロメートルだったかもしれない。はたまたどこかの他人から見たらルクスなんてこともあるかもしれない。

そういう不確定な物語を誰しも生きている。

どこかで、0か100で考えられる女になれたら私は変われるかも、楽に生きられるかも、と無理してそう思おうとしていた時期もあったけれど、それは違う。
私は0か100の間の、もしくは1000の、億の、那由多の、その間の髪の毛一本通るような隙間を受け止めていられるから私なのだ。
それしか出来ないのだ。

最近そう気づいてから霧が晴れたように視界が明るい。

誰かに大事な事を説明する時に、つい焦ったり、恥ずかしがって繊細な部分を端折って説明してしまう。
それは後から大きな違和感になって私の地面を揺らす。
いつしか違和感は重なり、立っていられなくなってしまう。

時間をかけても、もしその時はうまく明瞭に伝えられなかったとしても、「違和感がある」ということだけは伝えて生きていきたい。

だから私の周りの人々には相も変わらず、たどたどしくってハラハラさせて、ほんとご迷惑をおかけします。
ちょっとめんどくせえな、と思われた方は無理せずぬるっと離れて頂いて、そうじゃない方はどうか懲りずに今まで通りお付き合い頂けたら幸いです。

そんな2021年の寒中見舞いです。




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